高コストで窮屈な社会

誰も金儲けが目的でやっているわけではない、、、、、と思う。
誰も世の中のために役に立つためにやっているという信念で動いている、、、、、と思う。
ところがその結果生まれた社会は何と高コストで窮屈なものであるのか。

今大きくは二つの流れが世の中を動かしている。グローバルな社会になってそれはますます加速する。
一つはテクノロジーの発達
もう一つは様々なルールの乱立

どちらも、人類の発展のため、自然保護のため、人類の平等平和を実現する為とのお題目の為皆疑問は持たない。ただし何故今頃になってこれが特に叫ばれ加速したのか。それは金もうけにつながる仕組みが確立されてきたためだ。

金もうけに繋がらないものはどんなに崇高なものであっても世界に普及することはない。

 

この二つの流れがもたらしたもの、それは窮屈で高コストに人々が楽しんだように酔い苦しむ世界だ。


例えば医療について見てみよう。医療テクノロジーは、病気の範囲をどんどん広げる。少し何かの症状が有るとテクノロジーを使用して徹底的に原因を追究する。症状には必ず原因があるものだ。原因が見つかると一つ今までになかった病気が生まれる。

昔は「××でも食って寝てろ!」「寝たら戻った。」という程度のものであったのが立派な「○○症」という病気になる。

これから、高コストの連鎖が始まる。

・病気だとわかった時点で安心する。立派な病人であることに感謝する。「先生ありがとう。」(患者)

・通院を繰り返す。投薬を受ける。「患者さん、雇用している会社さん、国の健康保険よありがとう。」(病院、医者、薬局、医療器メーカー、、、、、)

・事故おこした原因はその病気かもしれません。既往症との関係が否定出来ないので保険金払えません。お医者さんありがとう。(保険会社)

・保険財政がひっ迫してます。少子高齢化社会ではやむをえません。増税しましょう。年金から頂きましょう。国民の皆様有難う。(国家、厚労省、財務省)


人は健康体であることが基本の状態であり、多少のメカニズムの狂いや異物に対しての反応、自然治癒力、自己免疫システムの活動は健康体の範囲に含められるべきものだろう。しかし、人類が良かれと思った医療の進化は、健康体の範疇の現象に沢山の病名をつけ結果として病気を持っていない人はいない。すると、病気を持っていない人は稀。健康状態とはどういうことを言うのか、その概念すら変わろうとしている。健康体はますます存在しえなくなるのだ。

 

次に幾多の国際ルールについて考えてみよう。
世界には多くの国際ルールがある。個人情報や製造物責任や食品安全基準等々、最近ではSDGS等も広い意味での国際ルール、活動目標の範疇と言っていいだろう。

国連機関が主導しているようにみえるものが多いが実質的には主には欧州発のものが多いように思われる。

欧州はミシュラン等のように、格付けや評価基準、ルールを作りそれに世界を巻き込むのが得意だ、ここ数十年次々と新しい基準やルールが生まれそれを利用して欧州は世界をリードしようともくろむ。
これらも夫々が批判しにくい人の良心に訴えるようなもっともな動機を掲げる。日本も明治維新以来の「欧米に学べ、欧米に追い付け、欧米と共に」の精神でほぼ無条件に導入に前のめりになる。

これに「儲け」を繋げてみると、誰が仕事が増えるのか、そして誰が負担が増えコスト高を引き受けざるを得ないのか。
制度、ルールの作成や日常の運用において働き場が間違いなく増えるのは弁護士、学者、役人、コンサル業だ。彼らは人類の為社会への貢献に情熱を注ぎ一生懸命に働き結果として一見自らの為にとみられるような新しい制度やルールを作り普及に躍起になる。
彼らが作る制度やルールで対象となるのは企業と個人だ。企業も個人もその対応にどんどん間接部門のお金がかかり、日常的にアンテナを張りつめていなければならない窮屈な日常を強いられる。加えてこれら新制度やルールに対応しないと儲からない仕組みも強要されるのだ。
自由の範疇は狭まり、コストは跳ね上がる。対応して生き残っていけるのは、金持ちの企業であり、エリートの企業と個人である。

それに、意義を感じ喜びを感じて社会が動いて来ているのだ。好んで窮屈でコスト高の世界を求めているように見える。

 

人を大切にして、自然を大切にして、資源を大切にして、持続性を大切にして、それらは有史以来維新までは日本は当たり前にしてきたことだ、国民の底辺には今もそれが根づいている。しかしそれらが自らの主導ではない国際ルールの集合になった時当たり前とされてきたものが特別のものとなり、日常普通に儲けなど関係なく良心に沿ってコツコツやってきた文化が薄れていく。

 

改めて言うが悪い事では無いのだ。悪意で取り組んでいる人はいないのだ。

が、真面目に取り組めば取り組むほど窮屈で高コストな世界は益々嵩じていく。金持ちもしくはエリートと言われるような企業や優秀な人間以外は生きにくい、生きなくても仕方がなというような世界になって行くことを皆で称賛し目指しているようなものだ。そしていずれそれが窮屈であるという事に社会全体が麻痺してしまうのかもしれない。

 

2022.01