日本版カジノ

 カジノが解禁される。観光、経済の振興のためだ。他にも大阪の負の遺産の解消等の隠れた目的もあるそうだ。依存症に対する不安や治安上の不安、そして経済振興に対する疑義等が論じられているが、今の政治構造だ、某与党がふらふらしようがどうしようが解禁されることとなる。

 

 カジノ解禁について、私なりの掘り下げをしてみたい。

 

 カジノ(博打)は非合法である。これはモラルに基づく、いわばモラル法によって非合法とされているものだ。解禁ということは非合法を合法とすること、モラルが経済に負けたということ、とても重要な近代日本社会を形作ってきた価値観の変更であるということだ。

 

 IR全体の収益の行方はともかく、ことカジノの収益は結果として何に使われることになるのか。狭義的にはカジノ運営会社の収益となり、自治体の収入となるのだが、広い目で見てみてみると、依存症対策、防犯、環境保全、 他インフラの維持整備などの社会的コストの為に使われることとなるだろう。JTの事業(煙草の販売収益と健康PRコスト)に似ている。誰が為に金は成る?

 競馬、パチンコ等のギャンブル依存症はすでに500万人を超えるという。カジノの依存症対策と他のギャンブルの依存症に温度差があってはおかしい。パチンコなどの依存症対策をカジノレベルに引き上げる必要が出て来るからギャンブル依存症対策コストは膨大に膨れ上がるだろう。そして、子供たちにどのような説明をするのか?教科書にはどのように記載するのか?

 

 入場を外国人に限定すれば依存症の問題は無いという意見もある。ある国が、毒性のある農薬まみれの野菜を輸出しても「自国で食べないから問題ない」と言っているのと同じだ。

 

 それでも、カジノは解禁されるだろう。今の日本は経済が全てに優先、経済が社会的諸問題を解決してくれるという思想のもとに運営されているからだ。

 

 どうせやるなら、何でカジノなのか?

 観光資源とするという、既に世界で100以上の国にカジノがあるという、ならばカジノに差別化された競争力はあるのか?

 日本の観光資源として外国人を呼ぶのであれば、カジノではなく「賭場」だろう。世界に一つしかない「賭場」。丁半博打、花札、サイコロ遊びに世界の人が集い。盆は緋牡丹の入れ墨をした粋なお姉さんが片肌を脱いで仕切る。会場の入り口では若い衆が着流しで迎える。チップではなく木札が雰囲気を出す。

 管理をしっかりすれば、暴力団を抜けかたぎになった若い衆の健全な社会復帰の職場として役に立つだろう。開帳中に時々「手入れショー」を行い、御用提灯を持った獲り方がなだれ込む。テーマパークとして外人には大受けだ。インターバルには花魁が場内を内外八文字でねり歩く。

 

 価値観の大きな転換点のテーマだ。よく考えてみよう。

 

2016.12