永遠は有限の連続

  人の命は有限だ。人の命だけではなく、森羅万象、この宇宙に存在するもの全てが有限だ。何となく無限と感じているものもあるが、私たちが見聞きできる現世の中には無限なものは無い。自分の感覚と比較してはるかに多いものや数えきれないものを無限と感じ表現した歌人などはいるが、厳密には全ての物は有限だ。「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」石川五右衛門は海岸のあの砂粒も数えうる有限であることを知っていたようだ。

 

 ビッグバンが始まりとされる現宇宙。あたかも永遠に存在するかの錯覚を覚えるが、多くの宇宙群の中のひとつにすぎず、始まりがあるということはいずれ終焉を迎えるだろう。生まれた事実があるのであればそれは無限ではない。

 無限とは人間個人の理解、認識の範疇を越えた時間や数を表現した概念と言えよう。

 

 無限と関連付けられて浮かぶ言葉に「永遠」がある。 

 不老不死、古より人が求め続けてきた永遠の命、叶った人はいない。権力を持つものは特にその権力が永遠に続くようにと、世界の果てまで不老不死の薬を求めた。

 不老不死とは命が永遠に続くということ、なぜ人は永遠を求めるのか。未来へのあくなき好奇心、死の恐怖、愛や繁栄への願望、そして永遠の地獄、人の好奇心、憧れと恐怖が永遠を産む。

 

 あの世とは、現世で永遠の生はありえないとうすうす悟った人類が、永遠無限の夢を忘れられずに作り出した世界観であり、宗教の求心力の本質は現世であり得ない永遠を魂の中に現世以外の世界をつくることで成り立っているのだろう。

 

 個人(個々の存在)では不可能な永遠の命に挑戦しているものがある。

 生物が子を産み、子が孫を産む・・・・・ 太古より延々と続けられてきた生の営みとは、実際は有限である個々の生を連続させることにより皆永遠の生を求めていきたのだ。

 しかし、それぞれの存在は有限であり、連続が途切れると永遠の夢は消える。永遠が有限の

ということは、永遠なんて無い。

 

 浜崎あゆみは歌っている。「ねえ 本当は 永遠なんてないこと 私は いつから 気づていたんだろう。」(LOVEーデスティニー)

 

 人は永遠なんて無いことを既に知っている。では、我々が求めているのは何なのか。それは永遠ではない「疑似永遠体験」、人はそれを求めて古来より有限を連続させてきた。

現世に生きる我々は、家族(血筋)の、国家の、人類の永遠をどのように考え関わるのか。思い込みや漠然とした感覚の中にある「無限」と「永遠」、時々掘り下げて考えてみる必要はありそうだ。

 

 

2018.2