ある新型コロナ感染者の入院レポート

コロナで入院している方の様子をご本人の了解をいただいてレポートします。入院しないよう気を付ける日頃の心構えの参考になればと承諾いただきました。

コロナ入院レポート
第一回
3月31日仕事を終えて電車で帰宅、その時すでに喉痛い。熱は36.9度、慌てて寝る。起きて37.2度、食事してまた寝る。
4月2日薬局でノーシンを買い、熱が上がるたびに飲む。36.5度まで下がったので食事して休む。夕方また熱が出る。五時間おきにノーシン。
辛くなって7日、帰国者発熱者相談センターに電話。
すると、「ここへ電話を入れたと伝えて、病院へ連絡してください。」と言われた。「病院は自分で探して」と。
意外と冷たい反応、。で、近くの大きな病院へ連絡したところ、「明日の朝(8日)来てください。」とのこと。
8日朝、ノーシン飲んで熱を36.5度に下げ、お風呂に入って、10時半頃普通に受信。ところが経緯を説明すると「発熱外来」に回されて、それからが長~~~~~~~~-くて。
お昼過ぎ2時頃、二人掛けソファーに横になって待たせてもらう。
看護師さんは一生懸命働いている。
5時頃になって呼ばれCT検査をして、また待つ。
6時頃CT検査の結果は肺炎でコロナ症状と告げられ6時頃入院の予定となった。
最初は個室(景色良く快適)。
熱は37.3度、少しだるい。すこし咳が出る。
熱が少し下がり、大分いいなと感じているとまた37.3度まで熱が上がり咳も出る。
10日夕方になって検査の結果が判明。やはり「コロナ」でした。
12日、「コロナ」と判明したのでコロナ病棟の4人部屋へ移動となる。
咳合戦、うめき声、ため~息、発熱者で気持ち落ち込むも「笑点」で笑う。
治療は抗生剤を点滴。
13日、知人のそのまた知人が47才でコロナで亡くなったとのこと。今頃になって味覚がわからない。
レントゲン検査と血液検査を行う。両方共の肺炎、炎症の価が高いとのこと、暫くかかりそうだ。
中指に酸素量のわかる装置を装着、酸素量が下がるとナナースステーションに知らせが行くことになっている。
コロナ病棟で働く看護師さん、皆さん一生懸命で可愛い、天使です。部屋の外の方から子供たちの鳴き声が聞こえる。預けられなくて職場へ連れてきたのではないだろうか。
(続く)

 

コロナ入院レポート
第二回 13日午後~
 
コロナの恐ろしさはとにかく急に悪化すること。
熱も36度台になるとこっちのもの、なんて思っていたらダメダメダメ。
3日後でもまた、平気で高い熱に、味わったことのない咳、咳、咳、咳、苦しいのだ。体力消耗して、ショボーン。コロナはどうやらまやかしの作戦が好き。
今頃味覚がわからないなんて嘘っぽい。
カラオケマイクには使い捨てカバーが必要なんて考える。
4人部屋の廊下側で一番新人。斜め奥の方は熱が下がらず呻いているいる。咳も一番辛そう。
右の人は静か。
向かいの人はご主人も入院中らしい。管で食事をとっていると説明を受けたということ。重症のようで、咳とたまに大きなため息が、、、、、、。
入院患者皆がそれぞれに大変。
咳合戦、夜中のいびき合戦、共同トイレがつらい。お風呂は3日に一回。
ベッドの仕切りは、下が空いて上はレース、全員コロナだから個別の隔離の必要は無いのか。
 
14日 朝の熱は36.4度 平熱。喉が少し痛く、味覚はまだ無い。あとは特別問題なし。この部屋の患者さんも少しずつ良くなっているような。咳はあちこちから時々聞こえる。
10時にシャワー。昼食後病室を移動とのこと。
何と移動したら個室、わーい!
が、この部屋さぶい! 陰圧室だ!
頭が痛くなってきた。体中の骨もいたい。熱が上がり始める。
医者にはインフルエンザではなくコロナとはっきり言われている。肺炎は両肺、普通ではなくまたCTを撮りなおしてよく見ないとと言われているが、いつ再検査できるかまだ見通しがつかないとも言われている。
この病気は長引く覚悟でとも言っていた。
いつ頃退院できるかを聞いてみたが、「見当がつかないのがこの病気です」と。
「元の木阿弥」って言う感じ。
電気毛布を借りて温まる。
解熱剤で36.6度におさえている。
 
(続く)

 

コロナ入院レポート
第三回 15日~
 
今日は朝から背中と、昨日の延長で、足が痛い。大腿骨からふくらはぎにかけて。
右向いたり、左向いたり、仰向け、うつ伏せ全部だめ。
が、立ってみたら楽。どうも寝てばっかりだから。コロナとは関係ない? 病室でエクササイズ考える。
指に着けていた酸素モニターが外れた。シャワー以外はずうっと着けっぱなしだったので嬉しい。
外しに来た看護師さんがなぜか申し訳なさげ????
肺の機能が良くなったということか?
昼食も死ぬほど不味い、というか味がわからない。
アーモンドチョコを食べてみる。チョコっと味がするような。
熱はずうっと落ち着いているが、昼になると少し上がる。
看護師さん達連日一生懸命だが、防御服がもうすぐ無くなりそうで不安だと言っている。
自宅に満足に帰れない看護師さんも多いみたい。
命がけ。あれ食べたいこれ飲みたいなんて言ってる場合ではないかも。
看護師さん達もモニターかで患者さんと話が出来れば良いのに。
看護師さんを見てるとしみじみ思う。
「皆さん自粛してくださいね。」
 
まだ決まっているわけではないけど、調子が良いから途中からホテルに移動とかなるのだろうか。
 
この病院、いつもは救急車の音がすごいのに静かすぎる。病床満杯で受け入れていないのだろうか。
「あれ食べたいこれ飲みたいなんて言ってる場合ではないかも。」なんて言っていながら食べたいものを考えて寝る。
 
16日朝
寝覚めは少しさわやかではない。
熱は無いし咳もない。まだ検査が必要だが、早く病床を開ければ次の人も助かるのだが、申し訳なく思う。
投薬も無くなった。
 
午後、防御服を着た先生と看護師さんがコロナ検査に来た。明日の夜には結果が出るということ。CT検査の予定はまだ何も言ってこない。
早く病床を空けてあげたいが、中途半端に出されぶり返しがくるのも怖い。心が揺れる。
 
明日の結果がどうなるか。
 
(続く)

 

コロナ入院レポート
第四回 17日〜
 
今朝は少しさぶい。熱は36度4分。
味覚は少し戻っている、、、、かな?
朝食、死ぬほど不味い。というか味がわからないから不味いのかどうかも確かでない。
甘さは不思議と感じる。
看護師さんと一緒に布団カバーを替える。「患者さんとこんなことするのはお初〜」って言うから、かなり軽症っていうことか。
今夜の検査結果に期待が持てる。
しっかり掃除した。気が早いが次の人が気持ちいいように。
検査結果の判明は、今夜と先生が言っていたが、明日の朝に。ガッカリ。
 
18日
朝から検査の結果を早く聞きたい。
・・・・・・
 
『陽性』、、、でした。
しょぼん。
 
発症から18日、入院して10日、軽症のようだからアビガン使うようでもないし、「もう少し安静に」と言われただけ。別に特別の暴れているわけではない。
お昼、あまり食べられない。
 
あまり変化なく。寝る。
 
19日
体温、血圧、咳とも良好。
頭は少しボーッとしてる。
味覚は塩味がわからない。甘みは少しわかる。なので看護師さんにお願いしてチョコレートは食べる。
甘党には都合の良い味覚障害。
来週にもう一度検査があると言っている。退院の後はホテルか?
長いが乗り切れば抗体ができると前向きに考える。
夕食あまり食べられない。
寝る。
 
20日
看護師さんが言うには、お給料を上げて貰うように相談をしているらしい。
わかる。10万円余裕があるなら看護師さんにあげたい。過酷だ。
知り合いが73才でICUに入っていると、生還を祈るばかり。
22日再検査らしい。PCR検査は痛いから好きではない。
 
ホテルの手配できた、検査をホテルで受けることもできる。管轄は保健所となる。どうするかと聞かれる。
軽症が証明されたと言うことか。ホテルの方が結構不自由と聞いているが、他の発症者の為に病床を開けるべきだろうと考え、検査の前に移ることとする。
22日ホテル移動が決まった。
ホテル自体はいいホテルだ。「楽しみ」と前向きに捉えて先の2週間に備えよう。
 
21日
明日退院なので荷造りするようにと、看護師さん。
熱、咳共に落ち着いている。
入院して2週間、辛くてありがたい経験をした。看護師さん達にお礼のメッセージを考えているが、涙が止まらない。初めての感情。
 
*幸いにしてこの方は軽症で推移している。油断は禁物だがおそらくホテルでの2週間で陰性となり通常生活に復帰するでしょう。
重篤な症状の方、急速に症状が悪化する例が殊更に報道されるので見落とすが、今回のレポート程度の軽症者も沢山いて、しっかり処置すれば回復に向かうのです。
しかし、軽症であってもこれだけの時間が費やされる。そして、若く子供もいらっしゃる看護師さん達が不眠不休に近い形で感染の危険を自ら感じながら気高く働いている。
医療関係者を前線とするならば、我々は後方支援部隊。社会のリソースを前線に集中できるよう忍耐と工夫が必要だと思います。
4回にわたるレポート、何か参考になる部分があれば幸いです。ご精読有り難うございました。

 

2020.4