不倫暴き

 今年のメディアの労力のかなりの部分は不倫で占められた。

 様々な芸能人をはじめ、政治家等の有名人まで。不倫は、現法制における一夫一婦制に基づき厳密にいえば、既婚者が同一時期に複数の異性と関係することは社会悪である。

 

 「不倫をするとはとんでもない!」「信じられない!」「どう思っているのですか!」「謝罪しますか!」全く不倫に潔白なメディアの皆さんが責める。社会に申し訳ないと当事者が謝罪する。でも懲りなく不倫を働くものがいる。懲りなくそれを責めるメディアがある。この繰り返しに辟易する。北朝鮮の問題や、国家予算の討議など以上の時間が割かれて報道される。しかも、同一時間帯に、全てのテレビ局がだ。週刊誌も同様にみんなこぞって同じ不倫テーマが紙面に踊る。

 

 人間50年の時代が人間80年になった。そして、人はいつまでも若く、いつまでも魅力的になった。さらに、空間的にも分野的にも人の行動範囲は増えた。女性の社会進出も目立ち、離婚が後ろめたい行為ではなくなった。

 人間の本質は男女。より魅力的で、強くて、優しくて、・・・・・、価値観は様々ながら、その時点で自分にとって求める異性を求めるものだ。

 

 不倫とはそもそも何か。「人の道に外れること、非倫」を不倫と言うらしい。

男がより魅力的な女性を求め、女性がより強く相性の合う相手を求めることは自然であるが、人の道に外れることなのか。婚姻という人工的な形式が人の道の基本なのか。

 

 政治家等社会的地位がある方々に関しては一歩譲って不倫は責められ、メディアが取り上げるべき価値があるとしよう。

 しかし、芸能人の不倫の話題はどうなのか? 芸能人の皆さんには申し訳ないが、社会人としての潔癖なものを私は求めてはいない。もちろん、芸能人の中にでも不倫と縁のない方が多いのはわかっている。

 しかしながら、テレビドラマや映画には不倫のテーマが目白押し、舞台でも愛や恋が氾濫だ。その渦中に身を置いて感情移入を要求され続ける芸能人は、恋が芸を高める一つの要素だ。

 そのような中で恋や愛の表現を売り物に、さらに常人には無い男と女の接点が多い世界において活動している芸能人、その不倫を暴いて責める価値はどの程度あるのだろうか。不倫をしたことの無い芸人が、本当の不倫のワクワク感と後ろめたさとスリルを演じることは出来ないだろう。

 

 そんなロジックを展開しても不倫暴きが減るとは思わない。芸能人の不倫を扱うことで紙面が売れ、視聴率が上がることは確かだろう。昔の瓦版と同様にだ。しかも報道の意義や重要性を説くロジックは幾通りも展開できる。

 

 しからば、もっと違う論調は無いものか。

「流石名優! 天晴れ!」、妻又は亭主は言う「芸の肥やしだ! こっぴどく叱ってやりました。」

 いつか、レポーター当人が主役の不倫疑惑報道を見てみたいものだ

 

2017.12