胆振東部地震 闇からわかるもの

  停電!災害は闇を伴い、闇との対話、闇の中で様々なことが見えてくる。闇はいずれ解消され、その闇の中で出会った出来事は思い出話としては語り伝えられることは多いが、教訓として伝えられ、さらにそれが社会体制を変え根付くことは少ない。それは災害が想定外であり伴う闇も想定外と処理されるからだ。

  災害がもたらす闇とは、今日では電力である。電力がなくなることにより生じる闇はただの明かりの闇では無い。 情報の闇、コミュニケーションの闇、医療分野での生命維持の闇、通信手段の闇、移動の闇、ありとあらゆるものが闇に沈むのだ。見方を変えてみると、ただ昔に戻っただけ、人類史の大半は電気のない時代を過ごして来たのであるから大した問題ではないのだが、いかに僅か百数十年の間に過剰に電気に依存した社会になったかがわかる。
  だからといって、電気のない世界に戻れといっているわけでは無い。そんな状況で生きていくには世界の人口は今の三分の一にならなければならないだろう。
  なぜこのようなことを書いているのか。実は2018年6月 大津にて関西の地震に遭遇、同年9月に札幌にて北海道の胆振東部地震に巻き込まれたからだ。
  胆振東部地震では札幌のホテルに宿泊していたが、主催するイベント当日の朝3時に地震に遭遇、間も無く停電がはじまり、停電は翌日の昼まで解消しなかった。専門家には日本で初のブラックアウトという方もいる。おかげて予定のイベントは全てキャンセル、参加予定者51人のうち、本州からの参加者は帰京できずに右往左往することとなった。地震による状況は報道で告知されているので割愛するが、その時に停電の闇について自分自身も様々な対応に追われながら色々と考え気づくこともできた。
   まず感じたのは、「リスクは遠くで把握する」ということ。どれだけの想像力を働かせてリスク確率を把握するかによっって、「想定外」の範囲はかわるのだ。
   次に、「リスクの種は分散しろ」ということ。効率化に伴う大規模化、つまり発電の一極集中と一極依存は一企業一自治体単位の効率であって、長い目での社会リスクを勘案した視点では非効率であることも多い。結果としては分散することが効率である(雇用に関連の課題においても分散は効率的であるのだが、ここでは論じない)。
  胆振東部地震の場合では、苫東一か所の発電所に大きく依存した体制が招いた結果だ。エネルギーの一極集中か分散化かは、これこそ国民投票をすべきレベルのテーマなのだ。
  さらに、「アナログとの共存」ということが強く感じられた。デジタルは世界に限りなく大きな貢献をこれからもなし得ていくだろう。しかし、その発展過程と究極の姿は誰も見ていない。そしてデジタルの致命的な欠点はデジタル社会における神とは「電力」であるということ。航空機等交通機関の予約データ、ホテルやゴルフ場の予約データハンドリングなど等、施設は問題なくともデータが確認できないために機能開始が遅れることとなった。もし、リアルタイムで紙によるバックアップがありそれをハンドリングしての訓練がなされていたら、デジタルの欠点をかなりの部分カバーすることもできたであろう。和紙に墨で書いたデータは千年以上残る。パピルスなども然り人類史は千年以上残るアナログ技術に支えられて伝えられてきた。今ある電子データが、1000年後使用できる状態にあると誰が断言できるだろう。非効率と思われるかもしれないが、長い目てみるとデジタルの力を使って常にアナログの手法でデーターをバックアッププリント出来る、デジタルとアナログの相互支援体制を作る必要があるのではないか。
  そして視点を変えてみると、このような事態が起こった場合、人間の心の状況も闇の中での新しい発見をすることがある。夫々に色々なスケジュールがあり、夫々にその緊急度、重要度が違うのはわかるが、その時に色々な人のことを考えるか、自分のことしか考えないか、我慢できるかできないか、腹をくくれるかオタオタするか、アイデアが湧くか湧かないか、心の備えがあるかないか、人に頼らず自分でなんとかする意思を持つかどうか、よく見えてくるものだ。LEDのみの暗いホテルカウンターで、無休で懸命に対応しているスタッフに、自分がいかに重要な人間かその人間が困っているのだから何とかしろと迫っている人がいた。自分だけがこの状態を脱したいために、相手の置かれている状況を考慮せずに無理難題(不可能な課題)を言うのだ。人間の本当の、生きるために周りを生かすための価値や強さは、肩書や地位、財力ではなくそのようなふるまいをするかどうかにあるのだなと感じられる。
   
   災害救助、災害復旧の為に多くの皆さんが限界を超えて努力してくている。
報道も元気が出る報道をしていただけ、感動で涙する場合も多い。
  しかし闇が教えてくれるものは人の本質だ。もちろん自分も自分の気づいていない嫌な本質をさらけ出していたのだろうが。それを我慢して見つめていてくれた方々に、感謝‼️、ありがとうございました。
2018.9