大人になるということ

 「大人になる」ということはどういうことだろう。

 人は生まれた時には無限の可能性を秘めているが、生まれた瞬間からその可能性が失われ始める。どのような環境に生まれたかでその可能性の大半を失う。だが残された可能性だけでも、総理大臣になる道も、アメリカ合衆国の大統領になる可能性も、大芸術家になる可能性も、神に近い存在になる可能性だってある。

その可能性の一つ一つをあきらめながら、自分生きる分野を定め、その分野での高みを目指して人は大人になって行く。

 「大人になる」とは、経験と努力を重ねて、知識や技術を深く掘り下げ、視点の幅を広げ、複雑な問題に対処できる人間になっていくと同時に、若者の手本となって次の大人の道標となって人を育て、他人への思いにあふれ嘘偽りのない、社会に役立つ人間になること。

思いつく限りの理想の大人の要素を並べてみるとこんなものだろうか?

 

 皆このような大人になる可能性をもって世に旅立っていくのだが、実際には可能性をどんどん失って(自ら捨て去って)理想からかけ離れた大人になっているケースの方がクローズアップされている感じがしてならない。そしてそのような大人でも会社、学校、自治体、官界、政治の重鎮にはなれているのだ。

 

 毎日毎日報道される多くの事件や問題、そこには、嘘、偽り、暴力、自己保身、思いやりの欠如、堕落、欲、・・・・・ 等が満載。それを社会的地位のある大人が長年学習した言葉を操って、言い訳や正当化に走る。日大のアメフト事件をみると「大人になっていない年配者」とその集団に過ぎない。日大だけではない、軽重あれ似たような組織や集団は色々なジャンルでもありうることだろう。

 

 このような報道を若者が見た場合「大人になる」ということをどのようにとらえるだろう。それが心配だ。

 選挙権が18歳からになった。大人はどのような大人の世界に若者を招こうとしているのだろうか、醜い大人の世界に巻き込んでも平然とそれが「大人の世界」とでも言おうしているのか。

 

 だが大半の大人は、勤勉で正直で若者への思いやりもある。若者が活躍すると我が事のように喜んでいる。今の素晴らしい世界を作り上げてきたのも大人の活躍が大きい。

マスコミには、素晴らしい大人がたくさんいることをもっともっと取り上げて欲しい。

 

 「大人になることは汚れてしまうこと」山口百恵さんの歌にこのような意味の歌詞が入った歌があったような記憶がある。

 「清らかな青春」「さわやかな青春」。舟木一夫さんの青春シリーズの歌の裏には「大人になること」への漠然とした不安、汚れてしまうことの不安が隠れていたように思う。

 

 今は昔と違い、大人の生きざま(親が汗水たらして働いているその現場)に日常的に触れることが出来なくなってきた。それだけに、親が無言で大人になるということを教えることはできないのだ。たまの休みに下着姿で晩酌をしている親をみて大人になることの正しい意味は伝わらないだろう。

 

 それだけに、社会全員で「大人になる」ということは格好良くあこがれるべきものなのだ

という事実を沢山情報提供してほしい。そして、世の組織や分野の長になる人間は、自分の

「大人度」を真面目に、真剣に高めてほしい。若者の精神を落ち込ませてしまうのも、精神の救済ができるものも大人の責任なのだ。

 

2018.6