パートナー(別れと出会い、涙の物語)

最近は配偶者や同居人を男女等せいべつを問わず、パートナーというらしい。長年連れ添ってくれば対象は人、物の区別なくパートナーということもできるだろう。

私はそのパートナーとは出会ってから15年連れ添ってきた。その間本当に苦楽を共にした。世の雨風から私を守り、日本国中長旅に同行し、、時々体調不良を見せながらも文句も言わずに、長い道のり(300000㌔)を共に歩んできた。

私もパートナーは大切にしてきたつもりだ。(少なくともエンジンオイルは4000~5000㌔、エレメントは10000㌔以内で交換していた)そのために致命的な病気もせず心臓(エンジン)は丈夫ですごした。

しかしながら、長年走り続けた疲労は足腰や循環器に確実に蓄積していたのも事実。近年は短い周期で病気がちになる。

だが人生の苦楽を共にしてきたパートナー、病気がちになったからと言って私から離れることになるとはついぞ考えたことが無かった。恐らく最後まで(あと10年200000㌔)共に暮らすことは当然と考えていたのだ。

 

 

が、ある日、知人(茨城トヨペット)に若く美しい新人を紹介された。

一目ぼれに近いものであった。自分が68歳にもかかわらず若い無垢なパートナーを求め始めてしまったのだ。

 

私は、悩んだ。

自分は15年連れ添ったパートナーを見捨て新しいパートナーに乗り換えるような不人情な人間であったのだろうか。

 

この悩みを相談した人々は意外に冷たい。「仕方がないじゃない乗り換えなさいよ。」
紹介した知人は、「いつ大病するかわかりませんよ。」などと脅かすような物言いまでする。

確かに、大病で突然人生の大きな困難がこの晩年に訪れることを恐れた。

という言い訳の陰で、無垢な新しいパートナーとの距離を縮める言い訳にもした。

自分を騙した、いや正直になったのだ。

紹介した知人に、新しいパートナーへの乗り換えを告白し、数日中に結納金を渡した。(ローンではなく一括で)

それ以降は新しいパートナーとの生活に夢をはせ。

密かにパートナーとパートナーの暮しを飾るグッズまで購入しはじめていたのだ。

 

いよいよ旧パートナーとのお別れの日。私は、感謝を込めてきれいにパートナーの体を洗ってあげた。

新型コロナ蔓延で、世界が接触を良しとしなくなって2年。この間私が最も安心安全に旅を続けられたのは、パートナーが作ってくれた車中の空間とかの忠誠心のおかげであろう。

日本人の平均でいうなれば私の健康年齢もあと10年余りであろう。

言わば人生の晩年を迎えている。

まだ人生を達観できていない私、どことなく背後に不安が付きまとう人生最後の10年を無垢なパートナーと出会い一緒に人生を彩っていく喜びに感謝したい。

ここまで従順に寄り添ってくれたパートナーよ。君との思い出は、、、永遠だ。

 

2022.01