さあ帰るぞ! 帰れる・・・・よね?

出入国管理事務所待合室 余裕の表情のMSさんとOZさん。
出入国管理事務所待合室 余裕の表情のMSさんとOZさん。

今朝は気分が良い。昨夜の「ふる里」でのひと時は素晴らしかった。今までのところペンギン33が欠航との知らせは届いていない。松山英樹は最終日大爆発している。

 

6:30 今日もアリーナの姿が見えない。3連休だったのか。豆腐みたいとベーコンも最後と思えば旨い。メニューが変わらないのは難点だが、全般的に食味は悪くない。果物、牛乳、ジュースも旨い。 さよならアリーナ。

 

松山英樹 優勝! 最終日61(-9)という驚異的な追い上げでトータル16アンダーで逆転優勝! おめでとう。

日本の若者は凄い! 「今の若い奴は」なんてことは言わない。若者はたくましく自分の道を歩んでいる。若い人から見て「今の年寄は」と思われないように、日本の高齢者は凄い!といわれるように生きたい。せっかく、今回の旅で、宮西さん、MTさんという凄い高齢者に会えたのだから。

 

最終日になってようやく青空が見えてきた。サハリンの青空はとてもきれいだが、今回は滞在日程が延びたにも関わらずスッキリ晴れた日は一度もなかった。心残りがもう一つできた。

8:30ロビーには、ベスタさんではない東洋系のガイドが来ていた。コルサコフの港で出国まで手配してくれる。

約一時間、この道は四度目なので車窓は見慣れた景色、ガイドさんがほとんど休みなしに一所懸命に色々話してくれるが、ベスタさんのガイドで大半を聞いているので申し訳ないが、流してしまっている。しかし一つだけ面白かった話がある。モスクワなどの中央政府から要人が来る場合、サハリン州関係者は、その要人がどこをどのルートで訪問するかの情報収集が大事な仕事だそうだ。情報を得た場合そのルートの道路を突貫的に整備するらしい。新しい道路があると、要人が通ったところ、要人の別荘等があるところがわかるそうだ。突貫工事であるので、時間が経てばすぐに補修が必要となってしまうであろうが、なんとも共産主義一党独裁ソ連時代のありがちな話だ。

 

そうこうしているうちに、コルサコフ港の出入国管理事務所に着く、日本人が数人とロシア人家族、三人の兄弟が可愛い。末っ子を中心にじゃれている。事務所の窓から見上げるとコルサコフ展望台でみた日本軍による韓国人犠牲者の記念塔が見える。下から見るとかなり大きく見える。

手続きを待つ間ガイドさんとロシア人家族が話している。話し終わって、ガイドさんが教えてくれた。そのロシア人家族は札幌へ観光に行くという。以前は東西ヨーロッパが綺麗なのでよく旅をしていたが、一度稚内に行く機会があり、街が美しいのでびっくりしたそうだ。確かに、サハリンの泥だらけの道、埃っぽい街路樹、メンテナンスされていないアパートの外壁、トイレ事情を考えると一見で美しいと思うのはもっともだ。稚内でこれだけきれいなのであれば札幌はどれほど奇麗なのかといってみたら、想像以上の美しさだったそうだ。それ以来日本の大ファンになり、毎年札幌に行っているとのこと。

日本人は当たり前と思っているが、世界から見るとたとえローカルの小さな町でもとても綺麗で清潔に見えるようだ。改めて、先人がコツコツ作り上げ、それを地道に維持改良している日本人を称えたい。

 

いつものことだが、ロシアでの出入国には時間がかかる。中々手続きが始まらないが、ここまで来たらもう安心。皆必要書類を手に、笑顔で順番が来るを待っている。

・・・・・それにしても遅い。待合室の他の旅客が次々に手続きを開始しているにも関わらず、我々の順番が来ない。ガイドが「もうすぐです。」といって管理事務所職員に何やら確認に行った。色々聞いているようだが少し声が大きくなってきた、顔も真剣になっている。大男の職人はガイドを見下ろしながらも冷静に首を横に振りながら話している。

しばらく問答をしてガイドが携帯電話を取り出し、厳しい顔で電話をし始めた。何があったんだろう?ただならぬ雰囲気にサハリン6の表情がこわばる。

何度か携帯電話をかけていたガイドが戻ってきた。

「皆さんの名前が、乗船者リストにありませんので、乗船できないと言ってます。」

「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

「どうするんですか?」

「旅行会社から出入国管理事務所にリストが届いてないということです。大丈夫です、大丈夫ですから。」

冗談じゃない、出港時間は迫っている。三日も延ばされて、これ以上の延期なんてできない。まして、船は欠航ではなく、すぐそこにいるのだ。旅行社の手続きミスで帰れないなんて、あり得ないーーーーーー!!

サハリン6 笑顔⇒こわ張り⇒青ざめ⇒充血とまるでカメレオン。

さあどうする。

ガイドがいくら大丈夫と言っても信用できない。

MGが稚内の北都観光事務所に直接国際電話を入れて確認する。

リストに名前が無いとの連絡は確認済み、直ぐにメールで出入国管理事務所にリストを入れる、間に合うので乗船は出来ます、とのこと。一応安心するが、確実になるまでまだ青ざめの状態だ。本当に帰れるのだろうか。

ガイドもまだ表情が硬い。こちらの心境を知ってか知らずか、職員はやけに冷静に見える。

15分程して、手続きが始まった。リストが届いたのだ。

職員も冷静な顔つきだったがやはり心配してくれていたのだ、多少ラフな手荷物検査で出国ゲートへ通してくれる。パスポートと顔写真との照合も短時間で済ませてくれる。

制度上の決まりには厳しいが、皆人の痛みはわかるのだ。「ふる里」の宮西さんが言っていたように。

 

さあこれで本当に帰れる。あのぼろぼろの桟橋から足を滑らせでもしない限り。

バスで管理事務所を出発。ペンギン33が舫ってある桟橋へ向かう。出国手続き時に渡された乗船者整理札を渡し、タラップを注意して乗船。今日は稚内からきた日に比べて波は穏やかなようだ。良い船旅になるだろう。UNさんは酔い止めのルーティンを終えた後、端から一階船首のマットレスに場所をとる。

11:00ペンギン33号の舫が解かれた。さあ出航!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あら?」また舫を戻した。どうしたのだろう。

桟橋の職員の動きが慌ただしい。何か大声で船に向かって言っている。と、船長が船室を焦った顔で走り回る。

何があったのか。小さな紙を乗船客に見せて何か言っている。こちらに来た。出国カードを見せて提出をしたか?と聞いている。「ダー」出国手続きの時に渡している。一回りでは解決しなかったのか何度も聞いていったが、まだ桟橋と何か言っている。どうも、出国カードと乗船者数が合わないようだ。

これは困った。合わないようだと出航出来ない。ここまできて何ということだ。サハリン6再び青ざめる。

少し時間がたったがまだ合わないらしい。ペンギン33号のエンジン音だけが聞こえる。

斜め前方に、サハリンの鉄道を巡るツアーに参加して帰国する学校の先生がのっている。隣がロシア人だったので、日本人であるこちらへ寄ってきて、

「何かあったんですかね。」

「出国票と乗船の人数が合わないらしいですよ。出国票を渡してない人がいるんでしょう。」

「ああそうですか。」

・・・・・・・

「ひょっとして、これですかね?」

胸ポケットから白い紙を出す。

それだよ!それ!

何で気が付かないの! そのためにこれだけ騒いでいるのに! サハリン6は青ざめたんだよ!

「あったよー!」

船長がほっとしたように受け取った。

これで、本当に帰れるか? ペンギンは泳ぎだした。宗谷海峡の日本領海に入るまではペンギンのターンも考えられるぞ。

 

帰りの海はベタ凪とはいかないが初日よりはかなり静か、270tしかない船なので、それなりに跳ねるが、船内で激しい船酔いをする人はいない。凪であればペンギン33号は早い。四時間弱で稚内港に到着した。

港には、稚内出身で東京稚内会の小坂会長、稚内市のサハリン担当渡辺さんが出迎えて下さいました。

サハリン6はそれぞれのスケジュールの為ここで解散。当初予定の3泊4日ではこれだけの感動はあっただろうか、アクシデントも旅の醍醐味、一生の思い出に残る旅だった。

 

サハリンはインフラ面、食料事情等確実に良くなっている。街を走る自動車も、泥跳ねで汚れてはいるが、日本車の高級車が多く、日本の企業名がかかれたトラックや、バンパー等がつぶれたおんぼろ車は珍しくなってきている。アパートもカラフルな新設が相次ぎ、旧ソ連時代のグレー中心のアパート群から少しづつ変わりつつある。ロシア政府が極東開発に力を入れていることから徐々に発展のスピードは上がるだろう。

北海道にとっては将来の経済パートナーとして相互交流を拡大してゆくべき対象だ。

 

観光については、日本時代の遺産は強制的に排除されたり、放置され風雪にさらされていること、サハリンとのゆかりを持つ高齢者が次々とお亡くなりになっていくことを考えると歴史観光の前途は暗い。むしろこれからのサハリンを楽しむという文化観光、未開の大地を楽しむネイチャー観光等が主流となってくることだろう。

日本人が、なんとか日本領時代の遺跡を残してほしいと願うのはもっともだが、サハリンに暮らしている人々にとっては新しいものに投資をし、自分の暮らしをよくすることに関心が集中するのは当然だ。日本の遺跡を守ることで食べては行けない。

 

そして今回、大変お世話になった「ペンギン33」について一言。あの荒波を小さな身体でよく飛び、よく泳いでくれました。クルーの頑張り、船長の気配りには頭が下がる。が、しかし、観光、交流振興のための足として多くを期待するのは気の毒で荷が重い。この足では、「サハリンに行ってよかった。」と人に勧め、誘うことを躊躇せざるを得ない。

強い言い方になるが、ペンギンが走れば走るほど、飛べば飛ぶほど、乗客は減って行くことになるかもしれない。悪循環というやつだ。

もしも今後もビザなし渡航が 船での行き来に限定されるのであれば、以前のアイスンクラスが必要だ。我々日本人にとってだけではなく、サハリンの人々の生活水準は確実に向上しており、北海道観光に対する関心も強い、サハリンの人々のためにもこの航路の充実は必要だ。聞けば、今年も「ペンギン33」号は予定乗客数を確保できなかったらしい。卵が先か鶏が先か、まずは足を整えなければ、観光振興も、交流推進も次のステップが浮かんでこない。財政の問題があるのはわかっているが、都市開発と同様、まずは交通を中心としたインフラ、足が先なのである。国と北海道はこのビザなし渡航、サハリンと北海道の交流推進、関係強化をどの程度重要と見ているのであろうか。

 

この夏の七日間、アクシデントが生んだ様々な出会い。動かなければ見えないこと出会えないことがいっぱいあった。旅は天晴れ!

 

七日目 完!

 

*MGは三泊四日の予定が六泊七日になっても、仕事にも、家庭にも何にも影響が無かった。