経済は人口 「少低高」下の社会と未来

 経済は人口。経済の成長は本質的に、マーケットの人口規模、増加率、若年層の割合によって左右される。多くの人口を抱え、出生率が高く、若者の多いマーケット(多、高、若)が成長のポンテンシャルが高いということだ。逆に言えば、人口が減少し、出生率が低く、少子高齢化の進んだマーケット(少、低、高)は成長しないということになる。

 日本の人口は国政調査によると5年間で95万人の減少だそうだ。日本は後者であることを示している。

 しかしながら現在、政府、財界、国民の大半は短期的な経済成長が目指すべき唯一の方向であるかのようにふるまっているように思われる。

 確かに、明治維新以降の制度、社会の仕組みは現存するものほとんどが経済成長を前提としたものであり、その制度が成り立ってゆくためには成長が唯一の答えだ。

 一方現実の国内のマーケットは「小抵高」、国内で経済を成長させるには、一人あたりの消費を拡大しなければならない。極端な言い方ではあるが、子供に必要以上に金をかけること、消費購買力の弱っている高齢者に不必要な無駄な消費をさせることに他ならない。それを続けても、若者が少なく、高齢者が増えると限界は早い。ある意味当然の帰結として、海外マーケットへの進出、移民受け入れによる課題解決が、グローバル化の推進と相まって主要な話題となってくる。しかしながら、海外マーケットもいずれ「少低高」になる。中国は既に表面化している。そして、成長が進んむ海外マーケットはいずれ人財の流出を懸念し、制限するようにもなるだろう。

 さらに、「少低高」により基本的な消費力が落ちたマーケットを成長させるためとして、益々金融ビジネス等リスクの比較的高いビジネスジャンルが拡大されることとなる。

 マイナス金利や実質的な円安誘導等の政策でマーケットのマネー流通を刺激しているが、今のところ、かえってより貯蓄(タンス預金を含めて)意欲を頑なにしているような気がする。日本人の本質的性向なのだ。

 

 そこで、考えるのだが、本当に現状での経済成長が後世に残す幸福の絶対なのだろうか。  

 勇気をもって、方向展開をする議論があってもよいのではないかと考える。実態を正視しない成長の無理強いは社会に様々な歪をもたらすだろう。特に懸念するのは必要以上の格差の拡大だ。

 日本が今日まで発展した大きな要因は安全で、清潔であること、国民が勤勉であること等々世界に誇れる社会秩序と文化があった。それは貧富の差が適度な格差の範囲であり、譲り合い、分かち合いの精神が侵透していたためであろう。

 

 子供が増えると経済は伸びる。短期での経済成長を金科玉条とした舵取りから、長期的視点で地道に「少抵高」を是正してゆくかじ取りに切り替え、経済政策もその路線で組み立てたるべきだろう。もちろん、方向転換には課題も多く、世界の経済と無関係ではいられない日本経済において独自路線が簡単に通用するとは思われないが、世界の経済に対する認識が金融ジャンルに大きく依存した環境から、「小抵高」にマッチした新しい経済モデルが見つかってほしいものだ。

 

2016.2