パワーハラスメントと貿易戦争

 「パワーハラスメント」

 立場上の優位性を背景に、精神的苦痛や身体的苦痛あるいは適正な範囲を超えた不利益を与えることを言う。

 立場上の優位性とは、職場の上下関係、取引上の上下関係、等々、最近は頻繁に、コーチと選手、監督とコーチ、協会と監督等がマスコミの話題に昇る。

 「パワハラ」という言葉とその定義が確立すると、次々とこれまで普段「そういうこともあるよな。」と言う程度に解釈されていた行為が犯罪として裁かれることとなる。

 そういう時代になったということを納得することと、被害者の気持ちに立つ努力が必要だ。同時に、一方で「被パワーハラスメント」を必要以上に振りまわさない社会の意識も必要だ。「パワハラ」と言われただけでその人の人生は終わる。

 実際に、「パワハラ」の加害と被害に直面した経験から言えば、人の驕り、客観性の欠如、人に対する非情な悪魔のような本性と、人の多様な忍耐や我慢、集団的傍観がもたらすトラウマ等々、「パワハラ」という一言では表現できない多くの人間の性がそこにある。

 「パワハラ」は加害者の人生も被害者の人生も殺す。

 しかし「パワハラ」撲滅は出来ないだろう。人の驕りと非情性は無くならないのだから。

 

 立場上の優位性を背景に与える適正以上の苦痛や不利益とは何も個人に限ったことでは無い。下請法で禁止されている下請けいじめは企業対企業のパワハラだ。

 社員レベルでの下請け企業の社員に対しての「パワハラ」もあるが、取引条件などの企業間の契約におけるパワハラ(パワハラ契約書)もあり得る。

 公取委の監視の目は強化されているが、撲滅はあり得ないだろう。企業間の優劣が消えることはあり得ないのだから。

 

 国家と国家の間では「パワハラ」という表現は使われないが、最も大規模で多くの「パワハラ」が有史以来続けられてきたのが国家対国家だ。

 例えば、「貿易摩擦」という、私にとっては何となく懐かしく感じられる語句がトランプさんによって再び表舞台に出てきた。

 「貿易摩擦」とは「貿易不均衡」、つまり相手国との輸出と輸入のバランスが崩れることは良くないことという考え方から出てきた語句だが、「自由貿易主義」「国際分業」「市場原理主義」等はグローバルで全世界がこれを是とし、アメリカを中心にした欧米の大国が積極的に進めてきたはずだ。

 そのおかげで、途上国の経済が発展し、そこに投資した欧米のグローバル企業は儲け母国も大いに潤ってきたはずだ。

 さらに、国際分業とは先進国が自国での製造を放棄して海外の安価な労働力に依存することをも意味する。特に分業を行うということは、各国の分業生産物の量と質が異なるため、均衡することはあり得ない。むしろ不均衡であることが自然なのだ。自由な世界を求めるということはその結果をも受け入れなければならない。

 しかし実際には購買力の強いところが、交渉と言う一見正当な話合いの過程で強い立場を利用して自分の我を通す国家間のパワハラともいうべき貿易交渉を行っているように見える。

  軍事においても、今回の南北朝鮮の問題、中国の国際戦略、中東の問題、中南米の課題等々においても、その交渉過程で多くの「パワハラ」が行われていることは想像に難くない。表面上は丁寧な言葉を使うかもしれないが、時には軍事力で物理的犠牲と苦痛を与えながら行っている行為は「パワハラ」そのものだ。

 しかし、国家間の「パワハラ」もまた撲滅できないだろう。国家の本質は国力強化でありそれは他国よりの優位性確保に他ならないからだ。

 

2018.4