尺八

68歳と4か月で塩ビの練習用尺八を入手した。

桂こすみ師匠による最初のレッスンででた音はほとんど風だった。

68歳と9カ月で本格的な尺八を購入した。まともに音も出ないのに。

 

子供の頃我が家には尺八が一本あった。親父のものだが親父が吹いているところは記憶に無い。私も数度挑戦したがプーともピーとも言わなかった。今になって思うと「歌口」に埋め込んでいるパーツが無かったような気がする。鳴らないはずだ。
尺八を吹いているところを見たことが無い親父も「江差追分」は好きだった。当時正調の江差追分を知らないためどの程度のものか私にはわからなかったが、よく唸っていた。そして江差で行われる江差追分全国大会にも行っていたようだ。謡ったのか聞くだけだったのかは知らない。

 

私がこの歳で尺八をはじめようと思ったきっかけもやはり「江差追分」である。

現役を引退し全国を車中泊する中で、津軽、渡島、檜山、さらには石狩から手塩迄日本海側の海岸線「追分ソーランライン」を走る際のBGMとして選んだのが「江差追分」であった。
親父の記憶に加えて、生まれた町せたな町が日本海に面し、三本杉から久遠まで度々冬の荒海を見ていた経験も後押ししたのかも知れない。
歳を経るごとに人は故郷に思いは帰るのであろう。

聴くと謡いたくなる。が、これがとんでもなく難しい民謡であることがわかった。息は続かずどこまで伸ばせばいいのか、どのように抑揚するのかお手上げである。しかし歌と同時に前唄へ導くあの前奏、唄をなぞるように追いかける尺八が妙に心に染みる。
繰り返し聴くうちに、江差の「繁次郎浜」に尺八で追分を響かせたいという願望がふつふつと湧いて来たのだ。

そんなことから桂こすみ師匠に初歩の初歩を教わり、名人(私はそう思っている)渡辺 淳先生に教えを請い今日に至っている。

腕前の方は、まだ浜に響かせるほどではない。さざ波でも波音が勝つ!

 

ここで経験浅き老身が今時点で感じる「尺八」を語ってみたい。

まず感じるのは自然との縁だ。
尺八は真竹という竹を使い基本は一尺八寸(54センチ)の中に節が7節必要である。現在では長さは二本の繋ぎとすることである程度調整できるが、竹は夫々個体によって太さ(厚さ)は様々である。工業的に同一のものを大量に作ることは出来ない。息を吹き込む歌口が相応しい位置に来ること、指で押さえる穴と指の角度の感触等個々の尺八で微妙に異なるのだ。尺八に叶う真竹と出会う事、世界に二つとない楽器を手にすることはまさに自然との縁と言えるだろう。
また、音色に感じる「風」は自然のあらゆるシーンとの親和性を感じる。

 

そして強く感じるのは自由度。そのまま持っても一尺八寸、バラすと九寸、どこにでもついて来てくれます。そしてなんと3オクターブを切れ目なく発音出来るという、穴が5つしかないのに、あな不思議という楽器なのです。

今は、演歌、CW、民謡、クラシック、、、ジャンルを問わずにたどたどしく吹き遊び、何度も気づかせられる尺八の深みを楽しんでいる。

いずれ技術が伴えば、おそらくそん時の気持ちを素直に表現できるようになるのだろう。

その境地に届くまで、何時飽男(いつもあきお)の私でも尺八だけは続きそうな気がしている。

 

「いいものみーつけた!」

 

人生の旅の道中、海で一吹き、森で一吹き、暇で一吹き、そして旅の終わりに三途の川で奪衣婆に江差追分を一吹き聴かせることだろう。

 

2023.11