飲むべき酒に呑まれるな

 「飲みたいよ 浴びるほど 眠り着くまで~・・・・・・」

 「飲ませてください もう少し 今夜は帰らない帰したくない~・・・・・・」

 

 「お酒は楽し 面白し それに加えて役に立つ」

 「飲むほどに 酔いが回ると それぞれの 上戸(酒癖)が見えて面白い」

 

 酒と付き合って48年。喜び、悲しみ、後悔、涙、興奮、くつろぎ、・・・・・・あらゆる場面に酒がいた。考えてみれば、親と同じ屋根の下で暮らして15年、女房と共に36年、人生でもっとも長い付き合いは、酒と高校時代からの親友だ。酒は親友なのだ。

 社会では職場コミュニケーションの一環として酒席を利用している会社や組織も多い。特に酒の国ニッポンは社会を円滑にするうえで、歴史的にみても酒の席は欠かせない。

 酒を飲むパターンも「一人酒」「手酌酒」「涙酒」「梯子酒」「二人酒」・・・・・演歌は酒抜きでは語れない。

 一人でいても、二人差し向かいでも、大勢の車座でも、これからも酒は友達。おそらく死んだときには誰かが酒を食らって見送ってくれることだろう。愛酒てる。

 

 しかしながら、酒にはダークサイドがある。

 一つは健康を害すること。もう一つは心を害すること。いずれも飲むべき酒に呑まれた結果と言えるだろう。

 

 健康に関してはもちろん体質や体調、様々なきっかけがあるだろうが、明らかに飲み過ぎにより体が呑まれた人も多い。体を壊したら終わりだ。「酒の上でのことだから」と体を壊して仕事が出来なくなった人にそのまま待遇を保証する組織は民間には無い。

 

 心を害する場合とは、酒癖の悪さだ。威張る、暴れる、怒る、忘れる等々酒が心を吞んでしまうケースは多い。 

 私の人生経験で最も強く感じている思いの一つが酒癖についてだ。色々な先輩後輩、友人、取引先と飲んだが、酒に呑まれる、酒癖の悪い人間は 社会や組織のトップや幹部には決してしてはいけない。

 一般的に「酒の上でのことだから。」「だけど彼は仕事が出来るから。」と言って上司や周辺が黙認する(消極的保護)をすることは多い。酔っている最中はもちろん、職場で素面の状態の中で本人に注意することは中々出来ない。自分で気づいて直す以外にないのだが、自分を客観的に見て直すことが出来る人間はまずいないだろう。

 

 酒癖の悪さは、「パワハラ」「セクハラ」に結びつきやすい。

 いやだけどいやな酒に付き合わされ、「唄え!」と命令されたり説教されたり罵倒されたり、拒否や反論が出来ない部下にとっては「パワハラ」とイコールだ。

 「ハラスメント」の言葉が過ぎたり、行動が過ぎたりするのも酒に呑まれる酒癖のなせるものだ。

 こうしたものが社員やお店の周囲の我慢に助けられているうちは良いが(良くはないのだが)、取引先との関係や一般のお客様の目などにふれた場合、その幹部の存在が会社の患部になる。

 これが健康面であったのなら、既にOUT!なのだ。

 

 最近、酒、酒席にかかわるスキャンダルでワイドショーが賑わっている。

 その対応をみていると、時代が変わったことに気が付かない組織やお偉いさんの中に、「まだ酒の席だからと大目に見てくれるだろう。大目に見てあげる。」という甘えから抜け出せない方々がいらっしゃるのが残念だ。

 

 財務次官やTOKIOのメンバーが考えさせてくれたことは「酒は飲んでも呑まれるな!」という、昔おふくろがオヤジに言ってた小言の普遍的重要性だ。

 

2018.5