点と線(見失うもの)

 2016年夏は52日間をかけた東北北海道の旅だった。今年もまたいろいろな発見と、出会いがあり、あと何年続けられるかわからないという不安が芽生えながらも、来シーズンへの意欲が沸々と湧き上がる。私の旅の特色は、愛車とともに、高速道路は使用せず、バイパス使用もできるだけ控え、スケジュールを固定せず、目についたものを観、食し、疲れたら寝る。お日様とともに起きる。なんとも無駄で非効率で贅沢な旅である。

 このような旅を続けながら考えてみると、色々な場面で点と線を意識する。

 

 高速道路は、出発点と目的地を点で結ぶ。途中観るべきものはやはり高速道路上の点であるSAかPA。途中には様々な人の営み、多様な自然が存在するが、それを意識し感じることは出来ない。

 飛行機はまさに点と点、空から見下ろす地上は手の届かないパノラマ。

 新函館北斗駅についに新幹線が津軽海峡をくぐった。新幹線もまた点と点を結ぶもの、途中の自然や街は感覚が追い付かないようなスピードで過ぎゆき、触れる対象ではない。

「函館」ははるばるたどり着くところではなかったか。

 時代はスピードと効率、点と点をいかに近づけるか、目的地にいかに早く的確に到達するかを求めている。交通インフラはそれに合わせて発達してきた。その結果は功罪あるが、点としてクローズアップされない地点は廃れ歴史と存在は忘れ去られる。点と点の間には線があり、それは長い歴史と豊かな自然の織り成す美しい組み紐だ。見失いつつある大切なものが目的地への道程にある。

 本HPの「旅の面白」は旅の線上にふと見つけた案内板に導かれて、偶然にたどり着いたもの。松尾芭蕉の時代の旅とは目的地への道筋を大切にした旅であっただろう。

 

 点と線の関係は交通インフラにとどまらない。インターネット+検索エンジンは求める情報へ的確にピンポイントで導いてくれる。したがって我々は感心のあるジャンルについては素人ながら玄人に匹敵するほどの情報に触れ深堀することができるのだが、自分が関心のない分野には全く触れることなく過ごすこともできることから、専門性に優れ、しかし一般常識に疎いという人が増えてくるのではないだろうか? 一方ゆっくりとお茶を飲みながら新聞を読む構図、現在のスピード感からいえば、無駄があり非効率な部分があるが、目的の記事にたどり着くまでに様々なジャンルの話題に触れる。自然に広範な知識が身についてくるだろう。

 

 組織における人財の育成、配置、や教育の視点にも点と線は当てはまる。

 世の中は今以上に点と点を追いかける展開になってゆくだろうが、意識して点と点を結ぶ線に触れることが大切だ。

 

 2016.9