死に票の不幸、民主主義の終焉

 人民主権 それが民主主義の基本であるが、様々な年齢、地域、境遇にある人々全員が政治参加できることが条件だ。

 選挙制度は民主主義を形成する基本的制度である。戦後日本は国民全員が選挙に参加できるとなっているが、実際には年齢制限があり未成人(現在では18歳未満)が投票できない。

 厳密にいえば民主主義に反しているのであろうが、世界各国年齢制限は有り、それなりの根拠もあって、まあ容認できる範疇だろう。しかし、今の小中学生の情報力、思考力は大人の考える以上のものがあり、変な大人より賢い小中学生は多々存在する。さらなる選挙年齢の引き下げ論議はいずれ出てくるだろう。

 

 ところで、選挙そのものまでは民主主義なのだが、選挙制度によっては結果が民主主義の崩壊をもたらすのではないかと心配だ。

 一票の格差についてよく問題視される。一票の価値が一緒という考えから出たものだが、長年進んだ人口の都市集中と過疎化の進行による課題の解決がなされないままに進んだ結果生じた問題解決の手段として、単純な算数による解決を求めたものだ。それが民主主義の維持のための最重要問題のように論議されている。

 しかしながら、私の考える民主主義の終焉リスクは、「死に票」だ。「死票」ともいうが、有権者が投票した候補者が落選した場合、その投票意思は国会には伝わらず「死に票」になる。1996年の小選挙区制導入以降の「死に票」は実に50%を超える。候補者が多く僅差となる選挙区などでは70%に迫る。これは戦いを好む国々が得意とする勝者総取り主義(日本の歴史、日本人の心情、文化にふさわしい制度なのだろうか)。国民全員が政治に参加する民主主義の本質を放棄するものであり、民主主義の終焉をもたらす本質的な問題であろう。

 投票すること自体が無駄と感じて棄権が増え、過半数以下(実際には有権者の1,2割)の得票率の政治家集団が国政を牛耳る。

 この解決策は? すでにあった! 戦後日本の発展を支えた「中選挙区制度」!

 地域の、一番の意見のみ国会に届くのではなく、2番目の意見も、場合によっては3番目の意見も国会に届く。死に票が50%を超えることはよほどのことが無い限りあり得ない。

多様な意思が国会に存在するので国会の議論が活発化する。

 

 政治のスピード感が今より鈍ることは確かだろう。しかし、「中選挙区制度」の結果としての与党が国民の多数が支持しているという裏付けを持ち、また、国民の情報力と国際感覚、経済知識は1996年の比ではない。政治家の能力をカバーする判断力と行動力を持って、政治を刺激し監視するだろう。

 「小選挙区」で良い目を見たのは、現与党だけではない。現野党も「小選挙区」が与党経験をもたらしてくれた。その夢が忘れられず、且つ政権交代が最終目標とも感じられる状況からは、「中選挙区制の復活」という声は出てこない。

 

 現状が本当に国民にとってプラスになのだろうか。民主主義国家を標榜するなら本当の民主主義とは何か、今が民主主義と言えるのか、深考が必要だ。

 

2017.6