田舎は生産業だ。生産業はかつて沢山の人を雇用できた。沢山の人手が必要だった。
田畑、漁業、営林業。
だから田舎には人が沢山いた。そして沢山子供を産むことが必要だった。
一方都会は消費業とサービス(ソフト)業。
ソフト業は華やかだ大きな金になる可能性も高い。金があれば消費するだけ生産を意識する必要もない。
田舎に子供が生まれた。テレビなど通信の普及親も子も都会の情報に日常的に接するようになった。
親は子供に同じような苦労をさせたくないと思うようになった。とても大切な仕事をしてきたのにだ。
そして子供は都会に出る。それでも生産活動が維持できたのは、機械(ロボット)化が進んだためだ。生産部門からソフト部門へと人が動く。いわばブルーカラーからホワイトカラーへだ。人はそれを進化と呼んだ。
生産者ノウハウを組み込んだロボットが生まれると。ますます田舎からの若者流出。生産者人口の減少は進む。
「単純作業(?)はロボットがやって、人間はもっと生産性のある仕事に就くべきだ。」
生産性とは給料が高いこと? 金になること? 衣食住の生産は生産性低い?
沢山の人の命を支えるんだから生産性は高いだろう。
この時点では、ロボットは人間の考える領域には入りえないと考えていた。
AIはホワイトカラーの人間を排除することとなる。
ブルーカラー、ホワイトカラーは生産者であると同時に消費者である。
消費者から富を吸い上げることで成り立ってきた経済、ロボットの発展が吸い上げるものがなくなった時にどうなるのか?
ロボットによるロボットのためのロボットの世界が始まる。
戦争も、これまでいかに兵器が機械化されても最後は人海戦術であった。
しかし、ドローン、四足走行ロボット、人型ロボットが誕生し、戦場は一変する。
人海戦術の必要は無い。ここでも人はいらなくなるのだ。
ブルーカラーロボットとホワイトカラーロボットの世界になる。
人間の視点から見てみると何のための我々は進歩という名の下で歴史を積んできたんだろう。何も進歩してはいなかった。
抗うには人手を必要とする世界に変更することだ。今の人手不足は人にいらない世界に向かっての過渡的な現象に過ぎない。
確実に、少子化人口減少は進む。そして数少ない子供の中で優遇されるのはロボットの世界をコントロールする人類の子孫のみである。
いづれそれも必要なくなってsじまいそうな気がするが。