四日目 落合(ドリンスク) 琥珀海岸 謎の枕木

謎の枕木⁉
謎の枕木⁉

朝です。いつもの朝食です。MTさんUNさんはほぼ定時出勤。皿を持ってしばし考える。ん~また同じだ。「コフィ? ティー?」アリーナの笑顔が救ってくれる。

朗報! 昨夜から松山英樹出場のブリジストン招待の中継が始まっているとのこと。今夜から時間潰しが出来る。

 

9:00 出発、目的地はユジノサハリンスクから北方へ小一時間、ドリンスク(落合)地域。車窓から、火力発電所が見える。続いて、サハリンではあまり見慣れない巨大な敷地一杯に立つ平屋の工場らしきものが見える。

サハリンは北緯五十度前後の寒冷地。サーモン、トラウト類の動物性たんぱく質、キノコ類、各種ベリー等は豊富であるが、長い冬季間の野菜類確保が長年の課題であった。そこで誕生したのが、目のまえに流れる巨大な野菜工場(ハウス)だ。これにより通年新鮮な野菜が食べられるとのこと。3年前よりは確実に豊かになっている。

 

道は、コルサコフ⇔ユジノサハリンスク⇔ホルムスク の幹線よりは車の量が少ない。北方には大きな都市が少ない為だろう。

ドリンスクの中心街を超えて15分ほど、バスは道路を外れて草むらに入っていく。ショートカットでもするのだろうか、それにしてもとんでもないところを強引なショートカットだなあと思っていたら、ここで降りろという。セントラルヒーティング用のパイプラインだけが目立つただの草むらだ。

「ここが駅です。」「??????」

草むらの中に、一本の角材が朽ちている。なんだこれは? 枕木だという。どこが?

昔、ドリンスク駅からさらに北へ鉄道は伸びていた。スタロドプスコエ(栄浜 )、当時の日本最北の駅栄浜駅の名残だという。たった一本の朽ちた枕木、少し離れたところに畳二畳ほどのコンクリート、栄浜駅のプラットフォームだ。ここに宮沢賢治が降り立ったはずなのだが、今の姿はあまりにも情けない。

草むらの地面を見つめる日本人6人、数少ない地元の通りがかりの人も不可思議に思う事だろう。

 

不思議ななんとも言えない心持ちで栄浜駅を離れ、宮沢賢治も訪れた白鳥湖に向かう。10分ほどで海岸に近く汽水湖と思われる湖沼が顔を出す。あいにくというか、8月なので当然のことながら白鳥は見られなかった。

曇り空を写す湖面は北の寂しさを見せている。晴れていれば湖面は青く美しいことだろう。

「あそこに鶴が。」ガイドのベスタさんが指さす。見るとゴイサギかアオサギの類だ。サギは多く見ることができる。駅の跡と言われたものがたった一本の朽ちた枕木、そしてサギに出会った。ドリンスクの旅はサハリン6の記憶に深く深く刻まれた。

 

落合へ戻る途中、栄浜駅近くの琥珀海岸へ行ってみる。かつては栄浜海岸と言い、栄浜駅から貨物駅だが鉄道は伸びていたらしい。

運が良ければ琥珀が見つかるかも知れないとのこと。少しだが欲の虫が頭をもたげる。

昭和初期の日本の漁村を思わせるような家並みを抜けて、海岸に降りる。ひどい道と段差だ。少し足を悪くしているMTさんが滑った。皆で支える。

海岸は延々と続く砂浜。波に打ち上げられた海藻が幾重にも層をなす。

ガイドのベスタさんが海藻の束の中を物色し始めた。

「琥珀です!」「どれどれ!」「これです!」

小さい! 爪の先程の焦げ茶の粒、よく見ると琥珀特有の明暗がある。確かに琥珀だ。ベスタさんは熱心に砂浜を遠くまで物色している。

サハリン6は、自分も見つけようとばかりに熱心に探す6、端からあきらめてただぶらぶらしている6、そういうのを写真に撮るのがたのしい6、と、それぞれに、曇った空、冷たい東風、打ち寄せる波、砂の感触を楽しんでいる。

次の琥珀は出なかった。

「そろそろ行きましょう。もう一か所行きましょう。」

何とか、サハリン6に琥珀を拝ませようと、ベスタさんは場所を移動する。

やはり琥珀は出なかった。サハリン6の行動には「何とか見つけよう。」という情熱が感じられなかった。

最大の収穫は、宮沢賢治がわざわざ訪れ、かの銀河鉄道の夜の構想を組み立てたその地をこの足で踏んだのだという満足感か。

*ベスタさんが見つけた琥珀はどうなった。それはOZの手に渡っていたが、帰国後「何処かに行ってしまった」とOZ。

 

ドリンスクへの帰り道、右側に真岡で見たような巨大な廃工場が見えて来る。旧王子製紙落合工場跡、旧王子製紙真岡工場と同様にソ連崩壊の影響で、真岡工場のような火災は無かったものの、真岡工場の3年後、1995年に操業を停止した。観光施設ではなく、ただの廃工場なので駐車場などもなく、道端に停車しての遠望なので、街路樹や伸び切った雑草が邪魔をして、内部をクリアに覗うことは出来ない。おそらく真岡工場のように長年放置され荒れ果てていることだろう。

 

帰り、ドリンスク駅近くにあるホテルのトイレを借りる。当然有料だ。入り口の小さいロビーに猫がいた。ロシア国籍だが日本の猫とあまり違いは無い。出すべきものを出して、猫にお別れ、帰路に着く。

ユジノサハリンスク着。今日のドリスデンへのツアーは追加オプションなので、旅行社の事務所へ代金を支払いに寄る。狭いが明るいオフィスでスタッフはほとんどが女性。ロシアは多民族国家なので、北欧だけではなく、東アジア系、中央アジア系のスタッフもいる。

「船が出なくてお気の毒です。」という気のきいた世辞を聞き支払いを済ませる。

 

事務所を出てバスでホテルへ、ベスタさん、黙々と運転していた飛ばし過ぎだが信頼できるドライバーとはこれでの別れ。

「昼食はどうしますか?」

ベスタさんが聞いてきた。頭にロシア料理の定番コースがフラッシュバックし、咄嗟に「何か適当に食べます。ありがとうございました。」

 

部屋に戻るのももどかしく、サハリン6は通いなれたスーパーへ向かった。これまでの数回の下見で皆知っている。日本の有名メーカーのカップ麺や焼きそば等を迷いなく買い込む。日本の価格の3倍もするのだが。ホテルで手分けしてお湯を沸かし銘々好みの麺が出来上がるのを待つ。還暦を越えたサハリン6が子供のように3分待っている。滑稽だ。そして3分後、麺を頬張る顔は子供の笑顔。満足、満足、本来はもう宗谷岬沖を過ぎ稚内港の入っているはずなのだが、この満足感はしばしそれを忘れさせてくれる。

 

夕食の為、夕方にロビーに集合することとして、各自昼寝をすることにした。

 

MGは3年前のサハリンツアーでの心残りが一つある。ユジノサハリンスクには「回転ずし」の店があるのだが、行くことが出来なかったのだ。店の名は「日本みたい」という。

今日の夕食は「日本みたい」に行ってみることになった

 

ホテルから、歩いて10分。店の表には「Nihon Mitai」と、何故か英語の看板。店に入ると、結構大きな回転ずしのテーブルが回っていてにぎわっている。ロシアの客はヴォッカを飲みながら寿司を食べている。メニューは。寿司、焼き鳥、蕎麦、・・・・・日本のメニューの種類とあまり変わらない。スタッフには日本人は見当たらない。東アジア系のスタッフもいるが日本語はほとんど通じない。つまり、かなり日本のお店に近い感じだがだいぶ違う、日本みたいなのだ。

二階は団体が入っているらしく、二階席を希望したが断られた。厨房からさかんに太巻き等の寿司桶が運ばれていく。活気のある明るい雰囲気の店である。

だが、日本ではない日本みたいな店、料理が出てくるのが遅い、オーダーを取りに来ない、オーダーした料理もなかなか来ない、回っている寿司はホタテばっかり等等、不満もある。しかしながらロシア料理の連続に渇きをおぼえたサハリン6の面々、久々の日本の味に顔はほころぶ。

個々の料理の味は、ホタテ、タコの寿司は鮮度もよく旨かったし、焼き鳥等も悪くない。あと3日耐えられる気がしてきた。

さあ、ホテルで二次会だ。明日の朝は松山英樹の活躍も楽しめるだろう。 

 

四日目 完!