民主主義が生み出す独裁者

 習近平、プーチン、トランプ、・・・・・・

 彼らが独裁者とは言わないが、独裁者的に見られていることは確かだ。

 それにしても不思議なものだ。夫々一応は民主的な手法(タイプや中身はそれぞれ違いがあるが)によってえらばれた指導者なのだが、民主主義が最も嫌う独裁的な色調が世界に広がっているのはなぜだろう。

 

 昨今の社会情勢、政治情勢を見てみると、民主主義とは本当に人民の願望とマッチしている進歩的な制度と言えるのかどうか疑問が生まれて来る。

 

 人民の基本的願望とはなんだろう? あまりにも大雑把なくくりで申し訳ないが、それは安心と安全が第一だろうと考えられる。それぞれの国家の人民が安心と安全を求める結果として戦争などにいたるという矛盾も生じるが、それもまた一面で人民の願望を映したものなのである。

 ところが民主主義とはあくまでも集団意思決定のためのただの手法であって、問題を解決してくれる技ではない。また、民主主義という手段で決定したものが正しい解決方法であるとは限らない。失敗も成功と同じかそれ以上に多い。

 従って民主主義が人民に安心と安全を与えることは出来ない。

 

 人民が安心と安全を求めた場合はどのような思考と行動をするのだろうか?

 その典型的なものの一つが宗教の下での安心と安全、もう一つが強いリーダーの下に集う安心と安全、後者は独裁者的リーダー願望につながっていく。

 それが人民の願望の本質と結びついているとすると、宗教の教祖絶対的な世界観は独裁者による集団統治願望と共通性が多いように思える。

 

 となれば、民主主義によって選ばれた指導者に力が無く、人民の願望である安全と安定がみたされない場合は、民主主義的手法でより強いリーダーシップを求め独裁的指導者を選び、その指導者が民主主義を否定するような言動があっても、その下で従うことの安心感を選ぶということがあり得るということは人間の本質が招いた結果ということか。

 

 ということは、民主主義的手法によって、いかに優れた独裁者を選ぶかが、民主主義の尊重と人民の願望を両立させるには必要ということになってくる。

 そのように考えると、今の米露中は理想的な状態といえるかも知れない。が、米国人は中国やロシアの指導者を選べず、中国人、ロシア人もまたアメリカの大統領を選べない。各国の利害や正義は自国のみにしか通用しない。そうなればもしも優れていない独裁者、狂人のような独裁者、欲の強すぎる独裁者が選ばれた場合はどうなるのか? 今目の前に展開している現実の近未来像がそれかも知れない。そうだとしたら恐ろしい。

 

  民主主義は古代ギリシアで誕生して、今から3,4世紀ほど前に現在のような形(人民が権力を有する政治形態)で広まった。今を民主主義の発展過程とみるのか、末期とみるのかは見方が分かれるところだが、発展過程での通るべき試練のステップであれば民主主義の理想とは本当に実現可能な手の届く理想であるのか。民主主義が瓦解していくプロセスと考えると、その後に現れるのは絶対君主制なのかはたまた新しい概念なのか。いずれにしても、その間、民主主義の影響した結果として多くの独裁者を産み出すことは事実だ。

 

 社会の仕組みを組み立てる上での一手段にすぎない民主主義を金科玉条の如く信奉し、その結果に盲目的に従うことは結果として民主主義を殺すこと、独裁者の誕生に加担することにもつながり得ることを忘れてはならない。

 

2018.4