武器=戦争に使う道具、凶器=人を殺傷するために用いる(用いた)器具。
武器と凶器はイコールではない。武器=戦争に使う道具とは軍の使うすべての道具のこと。直接的に破壊や殺人を行う大砲や機関銃などの兵器のみならず、電子機器やレーダーなどの情報機器、歯ブラシやタオル、食料だっていうなれば武器と言える。
凶器は人を殺傷するために用いる器具であるから、武器の一部を構成するが、凶器は戦争に限定されたものではない。通常の殺人、殺人未遂にも用いられる。
このような武器や凶器は誰が製造しているのだろうか。
武器は明らかに戦争に使用するために兵器産業が製造する場合があるが、汎用部品や日常品等は兵器産業が製造しているわけではない。一般の製造メーカーが一般的な用途で製造しているものが戦争に利用され武器となるケースも多い。
凶器については、そもそも凶器産業というものは無い。業種分類でも凶器製造業という分類は無い。凶器は本来の性質上人を殺傷するように製造されている拳銃などと、別の用途で製造されているが使用方法によって結果的に凶器となるものがある。後者はこれが凶器というものはなく、使用された結果によって凶器に変わる。例えばティッシュペーパーだって、水に濡らして口と鼻をふさげば凶器になるし、爪楊枝、カラオケのリモコンだって凶器になる。超極端に言えば、美味しいものだって糖尿病を誘発して人を殺傷する凶器だ。つまり、世に存在するもの全てが凶器だ。ということは、世の製造業者は全て凶器になりうるものを製造しているということになる。
凶器準備集合罪で細かく何が凶器かの範疇を規定しているが、実際にはその範疇にとらわれず、広範な日用品が凶器として使用されているのが実際であり、修羅場ではその場にあるありとあらゆるものが凶器になるのだ。
武器に戻って戦争で利用される兵器=凶器も然り、前線では火器や刀剣のみならずあらゆるものが凶器として使用されることだろう。
このようにみていくと、武器や凶器は全人類が製造している。が、何故日常殺傷事件が起きないか。
武器、凶器の製造工場の司令塔は人間の頭に中にあるからだ。オペレーションは脳がマネジメントしている。通常は「人は殺傷行為をしてはならない。」「物は本来の用途を逸脱して使用してはならない。」というセキュリティーが働いている。たまに逸脱した使用もありうるが、それは工夫の範疇である。
人の心に狂気が芽生えた時、あらゆるものが凶器に変わる。恨み、憎しみ、妬み、嫉み、怒り、恐れ、不安、不注意・・・等の心の動きがその引き金を引く。
事件が起こる度に、凶器につかわれたものの製造や流通を規制しようとする動きが必ず出て来る。大半は中途半端で終わるのだが、物に対する責任転嫁で一時しのぎをするのが、行政やマスコミの常だ。
しかし物に責任は無い。物は人を豊かにするための性質を必ず持っている。であるから世に生まれてきて存在をしているのだ。
武器や凶器は人の心が製造するもの。
「人は心の主人なり」。心の持ちようをコントロールして、狂気に凶器をつくらせるな!
2017.12