正義が正義がを懲らしめる

 プラトンもアリストテレスも説いた正義論、プラトンによれば個人や共同体の調和、アリストテレスは徳の全般を正義と言った。自分にとって正義とは何か。なかなか難しい。その都度意識はしていないものの、あらゆる人や組織、共同体の日常の言動は内にある何らかの正義を裏付けとしているだろう。

 正義は世の中にいっぱい存在する。人の数だけ正義があり、共同体もまた夫々に夫々の正義を持つ。そして国家もそれぞれの価値観に基づいた正義を持つ。

 アイデンティティに直接的に関係する非常に本質的で大切な正義だが、自分の正義を貫くためには場合によっては他人や他の共同体の正義を否定しなければならない。

 正義感のある人とは、言い換えると自分の主義を押し付け、人の正義を否定する人。「許さない。」人ということもできる。

 一方、自分の正義を否定されることを容認する人物はいない。争いの結果、屈服すること降伏することはあっても、正義の否定を容認することは無い。

 

 正義の否定の最たるものが戦争だ。戦争では双方が正義をことさらに強調する。

戦争は正義と正義の争いだから質が悪い。
 一方からはどんなに理不尽で残酷に見える行為でも、正義に悖るものでないと考えれば、人は平気で、むしろ誇りをもってその行為をなす。
 ISと国際社会しかり、北朝鮮と国際社会もまさにこの構図、双方がそれぞれの正義をもって相手を懲らしめようと気勢をあげる。
 そしてそれぞれの正義を具体的な形にすると何になるのか。それは、爆弾テロであり、B-52であり、原子力空母であり、ICBMであり、核爆弾になる。悲しいかな、自らの正義が最終的に武力、武器として表現され、その武器に担保されているのが実情だ。正義が理性を暴力に変え、正義が道具を武器にする。
 そして皮肉なことに、正義を担保する武器は一方で正義の根幹である調和と徳を奪い、脅し、結果として正義を傷つけている。
 我が国も正義をもって懲らしめようとする発言が増えてきた。
 正義を振りかざし周辺を巻き込みながら、ちゃっかり裏で正義の鞍替えや方向転換を準備している大国もある。梯子を外されないよう注意することも必要だ。
 そして表面的に受けが良い正義感に酔って自らが振り回されず、自分にとっての正義とは何かを妥協することなく深堀りする姿勢が、今こそ大切だろう。
 事を起こすときには、振りかざした正義がもたらすであろう状況を予見することが必要だが、大概振りかざした時点で、人や社会は既に冷静さを欠いているであろうから、、、、無理か。
2017.10