森友学園事件、事実、真実、本質

 事実とは本当にあったこと。真実とは偽りのないこと。世の中に事実は一つであり、それを偽りなく語る真実もまた一つであるが、時として複数の事実と複数の真実が同居する。森友学園事件は複数の事実と真実が同居したまま、多くの時間と金とエネルギーを消費し続ける。

 学園側と官邸や省庁側がいかにそれぞれ事実を語っても、そこに偽りがないという真実として受け止める意思がなければ、本当の決着がつくことはないだろう。

 人類はだからこそ、神の存在とその裁きを求めてきたのかもしれない。

  最も多く報道されているのは、安倍総理の昭恵夫人と森友学園(籠池園長夫妻)とのやりとり、昭恵夫人は新しい総理夫人像を作りたかったのだろうが、あまりにも軽率な行動の結果の始末を強いられている。100万円の事実と真実はわからない。「火のないところに煙は立たない」も確かだが「火のないところに煙は立つ」こともある。

 しかし「問題の本質は、異例にみえる国有地の売却だ」と、どんどんずれていってしまう議論の流れを引き戻そうとする冷静な視点もある。しかしながらこれも、現象としての事実は双方ほぼ一致した認識の部分があるものの、なぜそのようなことになったのかについては、プロセスを示す物証を「破棄」したとされてる等まだまだ真実は見えてこない。

 

 ところで、このような議論の陰に隠れてしまったような感がしてならないのだが、この事件の本質は別なところにある。

 それは、「愛国」「国を大切にする」とは何かということにある。私は自分で愛国心を強く持っていると自認している。世界に類を見ない、美しく恵まれた自然環境と生産力豊かな国土、多様性を取り込み独自の発展と調和を生み出す文化力や職人の気質と技術、その安寧を願い穏やかに見守る皇室の存在、そして自然の意思と人間をつなぐ神社の存在。国民はこの国を愛し、守るべきである。

 しかし、それを実現するために行動する姿は、一時の不幸な軍国主義時代の日本の姿ではない。その時代にも良いものもあった。それを懐かしむ自由は誰にでもある。しかし、こと教育施設の場合はそうはいかない。森友学園の教育は「愛国」ではなく「軍国主義ごっこ」に見えて来る。どれほど深く本質を考えたのだろうか。VTRで流される幼稚園児を見ると、何も知らない小さい子がある大人に言われるままに行動している、不気味な光景と映る。

 ただし、この学園が存在しているだけではそれほどの深刻度は無い。

 大きな問題は、この森友学園の教育を国会議員や首長、さらに時の政権トップまでが「すばらしい教育だ!」と絶賛していることだ。今回の事件の本質、発端はまさにここにある。

 この評価が、国有地の売却や、100万円の問題、そして様々な忖度や異例とも思える行政の対応に結びついたのだ。

 

 言い換えてみると、議員を選んだ国民もまた、同じレベルの「愛国心」しかないということだ。それが、この事件の本質なのだ。

 この程度の愛国心を振りかざし、それと同じようなレベルで愛国心を振り回している国々との外交が上手くいくはずが無い。

 

 それにしても、さすがに政治家だ。自分に火の粉がかかりそうになると、あっという間に手の平返し。「おばちゃん 涙をながして」と言ってカメラの前でパフォーマンスしてみたり、「しつこい」といってみたり。政治家に大切な資質をわかりやすく表現して見せてくれた。大変為になる事件である。

 

3017.03