2006年の西川福井知事の提案から始まった「ふるさと納税」開始から既に20年も経つ。専門のサイトが複数立ち上がり国中のフィーバー状態を経てそのひずみも嘔気くなっている。そうした現在の「ふるさと納税」について、この機会に言いたいことを言わせてもらいたい。
ふるさとせたな町の「ふるさと納税」第一号は何を隠そうこの私。
この制度を知った時、私は感謝に震えた。遠く故郷を離れて暮らす私にとって、田舎で暮らす両親を、日々心身ともに支えつづけてくれたのは「せたな町」の皆様、そして自然、長年先人が築いてきた文化や仕組みである。自分は故郷にも親にも育ててもらっただけで何一つ目に見える恩返しが出来ていない。
そんな後ろめたさを少しでも埋めるものが「ふるさと納税」であった。
そして発足当時は「返礼品」等というものはなかった。
ただ純粋に、故郷へ示す感謝の一つのかたちであった。
「エスカレーションがもたらしたゆがみ」
ふるさと納税は良いアイデアなのだが、やがて「返礼品」等の誕生で本来のタガが外れてエスカレートし始めた。ふるさとへの感謝の気持ちの範疇であれば大きな問題にはならないが、これがエスカレートした結果居住地の税収が大きく減少するというゆがみが生じる。
全国自治体にふるさと納税された額は年間約1兆27百億円、某自治体では税収総額の55.5%にのぼる。自治体はまさにふるさと納税依存症になってしまうだろう。一方住民税の税収減となった自治体は横浜市で3.6%もの税収減だ。大都市でのこの減収巾は社会インフラを維持するに影響が出かねない程の額だ。
「返礼品合戦」
先に述べたようにふるさと納税が始まってほどなくして「返礼品」が始まった。
私がまず感じたのは、「そんなつもりではなかったのに。」
純粋にふるさとの為に使って欲しいのにその中からわざわざ戻すというのは貢献したい価値が減ずる。
「返礼品」という仕組みがもたらしたものは何だろう。
納税者の楽しみの選択肢は増えたとは言えよう。一方で自治体では他自治体がすべてライバルとなるわけで、生産能力の不足を補う投資が必要となったり今までにはない過剰な競争に巻きこまれる。そして、数年信じられないようなふるさと納税が続くと、どうしても予算作成がふるさと納税依存症の状態となってしまうのは致し方ない。
また「新しい価値は生まれたか」という観点から冷静に本質をみると全体としては何もプラスになっていない。
価値が新しく生み出されたわけではない。ふるさと納税がこれだけ活発になっても国全体の税収、パイは増えていない。価値の単なる移転行為であり全体としての価値は増加していないにも関わらず一方で制度を維持するためのコストが今までなかったコストとして増加している。
ふるさと納税額の46%がプラットフォーマー等への経費支出に費やされているのだ。
つまり全国で社会福祉やインフラ整備に使用できる税金が46%(5千億円強)焼失したということになる。
私は純粋に故郷を思う気持ちを違う形での「ふるさと応援」にこめる。
2026.7