「鴎の鳴く音に ふと目を覚まし あれが蝦夷地の山かいな」
「文の宛書 薄墨なれど 中に濃い字(恋路)が 書いてある」
「忍路(おしょろ)、高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ)塩谷まで」
江差追分の何種類もある中歌の歌詞の一部だ。
国道228号線松前から北上、上ノ国を過ぎるとひと際目立ち旅人を迎えるのが「鴎島」。江差を象徴する、陸路、海路の目印だ。
島とは言っても、江差の市街地とは地続き、砂州で繋がれている。
まだ現在の江差港が開港する前、北前船の係留地はこの鴎島であった。現在も当時の係留柱の残骸が波に洗われている。
鴎島は江戸時代、諸外国の船舶が近海に現れたのに対抗するための砲台が設置されたりするなど幾多の歴史の痕跡を残すとともに、現鴎島灯台の前身である灯明塔が設置されて以来、沖合に大きく突き出た立地から今でも日本海を航行する船舶の助けとなっている。
江差の町は国道227,228,229,276,277号線、何と5国道の起点となっている。重要な交通の要所、北前船の寄港地であり歴史の詰まった追分の町江差。
そんな江差の現在の人口は7,956人。かつては1万人を優に超えニシン漁の盛んな時期はどれだけの人が集まっていたのか想像もできない、「江差の春は江戸にもない」と言われていたたほどだったが。
しかしながら、2014年5月にはJR江差線が惜しまれながら100年の歴史に終止符を打ち、廃線となった。街並み景観を整え観光に力を注いでいるものの過疎に歯止めはかかっていない。
そんな江差に年二回、古の熱気がよみがえる。
55年続く江差追分全国大会と370年の歴史を誇る蝦夷地最古の祭り姥神大神宮渡御祭。
江差追分全国大会は昭和38年に始まり、毎年9月後半の三日間、全国から440名ののど自慢が集まり日本一を競う。町中に幟が立ち「追分会館」を中心に町中に追分が古の活気と北の海の哀愁を乗せて流れる。
「追分会館」では全国大会だけではなく4月から10月まで毎日、民謡の実演を演っている。まさに追分の町なのだ。
毎年8月9日~11日に行われる姥神大神宮渡御祭は、北海道最古の祭り。北前船で伝えられた京都の文化が花開いたように、豪華絢爛。もっとも古い宝永年間製造と言われる神功山は京都の人形問屋が収めたとされる。山車は武者人形など13基の曳き山で二日間街中を練り歩く。
夫々の山車の見事なこと。次々とやって来る山車を感心しながら眺めていると、子供の頃の祭りのわくわく感が重なってくる。
町内練り回し日中の見どころは、上り坂だ。1t以上もあろうかと思われる山車が 掛け声と共に一気に駆け上る。
中には一気に登り切れずに苦戦するものもある。引手と押手の根性と聴衆のはやしが一緒になって山車を押し上げる。
飾りを激しく揺らせながら次々と挑む山車に、見ている方も力が入り疲れる。
平地引き回しの時ののどかなテンポが一転するのが面白い。
夏の日差しに程よく疲れた後は、なんとも愛すべき北の居酒屋で夕方からのクライマックスまでつなぐ。
夜は祭りの表情が一変する。一気に囃子のテンポが変わり、灯が入った山車は夜空に浮かび、まるで違う祭りを見ているようだ。
山車に乗っている若衆のテンションが明らかに違う。お神酒は入っているだろう。歴史が若者のエネルギーと一緒になっている。
祭り終盤、13基の山車が勢ぞろいしてのお囃子合戦は壮観だ!
感動を言葉で表すのは難しい。下手な写真ながら、想像していただく以外にないだろう。
夏の夜空、鴎島の頭上に浮かぶ北極星にも届いているだろう。
なぜかわからない。訳もなく眼頭が暑くなる。北の祭りには内地以上に夏への想いが強く出るものだ。
お囃子の交錯する騒々しさの中で、朝から大人と一緒に主役のつもりで祭りを盛り上げてきたのだろう、山車の欄干にもたれてわらしもついに限界。
夢の中でもお囃子が鳴っているだろうか、あるいは屋台での美味しいものが浮かんでいるだろうか。こうして伝統は体に染みついていくのだろう。この祭りでの最もお気に入りの一枚でした。