それは2016年7月のこと、神社とキツネ、お稲荷さんの定番組み合わせだが、北海道の天塩で奇妙な北キツネに出あった。
天塩は松浦武四郎がその河原で北海道を命名したとされる天塩川の河口にあり、北海道材の集積地として大変に栄えた町、天塩川河口にかかる天塩川河口大橋の下では遡上鮭の捕獲が風物詩、サロベツ原野に向かう利尻富士を望む道道106号線沿いに並ぶオトンルイ風力発電所の風車の列は圧巻だ。
近くには縄文文化、オホーツク文化を語る竪穴式住居群の「川口遺跡」があり、太古より豊かで恵まれた地であっただろうことがうかがえる。
天塩町の北の端には立派な厳島神社が鎮座している。現在の社殿は明治42年この地に移り、平成22年に新しく建て替えられたものだ。
もともとサケ、マス漁の運上所開設の際守護神として「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を紀伊の国有田から分神として迎えたもの、境内脇には堂垣内知事時代の「天塩町開基百年記念碑」がある。
この神社、1804年の開祖時は利尻富士を望む天塩港の高処(たかど)にあった。現在その地には「厳島神社跡」と書かれた石碑のみが立っているが、何故かその碑を守るように現れる一匹のキタキツネがいる。
特に事前知識があったわけではなく、海岸線をふらりと散歩した時に偶然出会った。
後に散歩に通りかかった地元の人に聞いたのだが、このキタキツネはほぼ毎夕この石碑の側に顔を出しているらしい。
私が見た時も、あたかもこの石碑を守護しているように、散歩中の犬が吠えかかるにも全く動じず、こちらをジッと観察している。その風貌が凄い。見る限りかなりの高齢だろう。旅の途中で会うような常に腹を空かせたような俗な(あえて)キタキツネとはあきらかに違う。思わず拝みたくなってしまうような威厳と年輪を感じる。
人が近づいても恐れて逃げるようなこともなく、一方人慣れして物を乞うような媚びも無い。
間違いなく、天塩厳島神社市杵島姫命の下、天塩の町を守護しているのだと、根拠もなく思わせる。
夏、天塩になつかしさ漂う素朴な祭りがやってくる。「厳島神社跡」の碑が建つ海岸に向かう市街地道路のほんのひと区間を歩行者天国として使った、本当にこじんまりとした素朴な祭り。
懐かしき祭りの定番屋台が並ぶ一角(本当に一角)は、町中の子供が全部集まったかのように活気づいている。型抜きに夢中になる男の子と軽妙にやり取りする出店の大将を眺めながら、地元商店の若者の出店でビールを煽る。夕陽が利尻富士を赤く染めて日本海に沈み始めると、どんどん暗く静かになる街並みの中で、発電機の音が響くこの一角だけが明るく浮かび上がる。
遊びを終えて帰る親子連れの浴衣姿が微笑ましい。
皆気づいている人は少ないのかもしれないが、祭りが無事であるように、すべてをあのキタキツネが見守っているようだ。
そして、一夜明け、祭りの後の静けさも何とも言えない旅の風情か。
2017年、一年ぶりに天塩を訪れた。早速、あのキタキツネに会いに行ってみた。
しかしその日その時刻には彼(彼女?)は現れなかった。人周りに人気なく、聞いてみることもできずに天塩を離れたが、今はどこでどうしていることだろうか?
人生には色々な偶然の出会いがあるが、中でも特に印象深いキタキツネとの出会いであった。
あのキタキツネ、「今年はコンかったね。」とでも思っていてくれているだろうか。