密漁の悲劇 千代丸事件


 鮑、雲丹、海鼠 北海道の海産物はすごい人気だ。それだけに毎年密漁の被害が絶えない。

 海産物の密漁はいつごろからあったのだろう? 

 その前に、そもそも、密漁とはどういった行為をいうのか受け売りのミニ知識を。

 獣類については「密猟」、魚介類の海産物は「密漁」と対象物によって表記がかわる。

 密漁には3つのパターンがあり、

①無許可ーーーー許可制となっている対象の場合許可を取得せずに操業採取した場合

②法令違反ーーー各種関連法令に違反して操業採取した場合

③漁業権侵害ーー都道府県より与えられた漁業権を侵害した場合

 

 今から1300年以上前に定められた「大宝令」に、「山川藪沢の利は、公私之を共にする」とある。これは、「自然界のものは皆のもの」と言った意味。つまりこの時代は漁業権のようなものが無かったということだ。しかし、一方でこのような定めが必要となったということは、占有しようという動きがあったことを意味する。となれば、漁業権の概念が始まった時期ということも言えるだろう。

 そして今の漁業権に近いものが確立したのが江戸時代。漁具、漁法の発達と消費力の高い都市の発達も背景にあったであろう。

 北海道の場合、松前藩が突如漁業権を持ちだし、権利を持たないアイヌにとっては当たり前の鮭の捕獲などが密猟として制限を受けることがあったとの話も聞く。

 現在の北海道、鮭、アワビ、海鼠等などありとあらゆる海産物が密猟の対象となってきたが、食のグローバル化が進んだ現在今日は北海道海産物の国際的価値が急上昇、反社会的勢力を交えた大規模な密猟が横行し、密猟が収まる気配は無い。「浜の真砂は尽きるとも、北に密猟の種は尽きまじ」だ。

 皮肉なことに、漁業者を助けた潜水器具の発達や漁具漁法の発達は、そのまま密漁者の能力アップにつながり、物流インフラの発達はそのまま密漁ビジネスの拡大を支えているのだ。

 長い前振りになったが、 密猟は単に海産物の被害にとどまらず様々な悲劇も産む。

 

 日本最高の高さを誇る灯台の立つ北海道せたな町の茂多(もった)岬、その沖合冬の日本海で昭和8年2月24日悲劇は起こった。

 瀬棚漁協所属の密猟監視船第二幸運丸が岩内船籍の底引密猟船「千代丸」に衝突され沈没したのだ。

 当時、瀬棚沖は急激に密漁船が増加、道などに対応要請はしていたが、同時に自主的に監視活動をしていた。とはいっても、第二幸運丸はわずか14tの木造発動機船。監視に特化する以外の能力は持ち合わせていない。

 一方千代丸は、底引き網発動機船32t。倍以上のしかも底引き能力がある程の推進力の船が、第二幸運丸の最も弱い右舷中央に激突し大穴をあけたのだ。ひとたまりもない。

 密漁常習で知れ渡っていた千代丸の犯行動機が、捕らえられた後のいざこざを嫌ったに加えて、漁獲物を押収されることの口惜しさというから何とも信じられない。

 この衝突により、第二幸運丸の乗組員計4名(船主玉井豊作、機関長佐川新吉、水夫能代鉄蔵、水夫奈良慶治)は海に投げ出され全員死亡。船員ではないが乗船していた瀬棚漁協組合長船主柴崎幾太郎(瀬棚町)は千代丸の従業員に暴行され惨殺された上に、髪や眉をそぎ落とされ、全裸にされて海中へ捨てられるという、昔からの言い伝えに倣った儀式的な行為だとされるが、なんとも悲惨で猟奇的な殺人事件であった。

 当然、千代丸船長は死刑、他の乗組員もすべて懲役刑となっているが、被害者にとってはこの判決だけで納得できるものでは無いだろう。

 ただ、この事件がきっかけになって、この地域の密漁監視能力が飛躍的にアップしたことは確かであり、今日の瀬棚沖の安全操業につながっている。

穏やかな、見方を変えると密漁の海
穏やかな、見方を変えると密漁の海
慰霊碑と茂多トンネル
慰霊碑と茂多トンネル

 茂多岬下を通る追分ソーランライン国道229号線。奇岩とエメラルドグリーンの海そして夕陽の絶景ポイント茂多トンネルの近くには、「安養地蔵尊」とこの千代丸事件の慰霊碑がある。

 新しい。やはりこの悲劇を忘れまいとする瀬棚漁協漁師の密猟に立ち向かう強い意志があらわれている。