キマロキ編成(名寄市)


北海道名寄市(27,578名ー2018年12月)

もち米の作付け面積日本一

道の駅「もち米の里 なよろ」には、何種類も色とりどりの大福餅が並ぶ。

陸上自衛隊名寄駐屯地

日本最北の第一級の戦闘部隊の駐屯地。昔北海道では、各地で援農(田植えや刈り取りの手伝い)に自衛隊が来てくれた。道端で自衛隊の車列に手を振ると、皆笑顔で手を振ってくれたものだ。

名寄の町の存続に自衛隊の存在は欠かせない。そして北方防衛、国全体の防衛に名寄の自衛隊は欠かせない。

大関名寄岩静男の出身地(生まれは小樽)

なんと鍼灸師から力士になった変わり種。「病気のデパート」と言われるほど病に泣かされ大関どまりとなったが、「砂付けて 男を磨く 相撲取り」「敗けて 覺ゆる 相撲かな」と名言を残している。昭和7年の初土俵から昭和29年の引退まで、敢闘賞2回

そんな名寄で見つけました。

「キマロキ編成」

北海道出身ながら聞きなれない言葉であった。

主に使用されていた1960年代は私もまだ若く、かつ私の生まれた道南は名寄に比べて積雪が少なかったためだろう。

ふと立ち寄った「北国博物館」その敷地に、見慣れない巨大な五両編成の車列が展示されている。乗っている線路は1989年に廃線となった名寄本線(名寄⇔遠軽)のもの。

名寄界隈の冬は、北海道でも特に寒く積雪が多い。鉄道が陸上輸送の主役であった時代、排雪は極めて重要。豪雪に対抗して輸送路を確保するために考案されたのが「キマロキ編成」だ。考案者は、北海道鉄道局苗場工場の羽山金三郎工作課長。

昭和の初めから40年余り。この間、本編成をベースに様々な組み合わせの排雪列車も誕生し、全国豪雪地帯の冬の輸送路確保に活躍した。

 

「キマロキ」の名前の由来だが、アイヌ語か何かの由来があるのかと思ったが、関係ない。ましてやゴルフとは全く無縁(マキロイはちょっと無理があったか)。理由がわかると実に単純。

「キ」=機関車の「き」

「マ」=マックレー車(雪をかき集める車両)の「マ」

「ロ」=ロータリー車(かき集めた雪を飛ばす車両)の「ロ」

「キ」=再び機関車の「き」

と、編成車両の頭文字を並べたものだ。

今でも動くのかな?手入れが良いです。
今でも動くのかな?手入れが良いです。
石炭庫越しのマックレー車
石炭庫越しのマックレー車

「キマロキ」先頭の「キ」

大正10年製造のSL59601。車内は塗装がしっかりして、よく保存されている。

キマロキの二両目「マ」

マックレー車 キ911号、昭和13年製造。左右2枚の羽根を広げて線路わきの雪をかき集める。

ロータリーのエンジン左側
ロータリーのエンジン左側
ロータリーのエンジン右側
ロータリーのエンジン右側

キマロキ3両目の「ロ」

ロータリー車 キ604号、昭和14年製造。

マックレー者が集めた雪を、線路わきに積み重ならないよう遠くへ飛ばす。

ロータリー車からD51を撮影したもの
ロータリー車からD51を撮影したもの
蜘蛛が我が物のように住んでいました。
蜘蛛が我が物のように住んでいました。

キマロキ4番目の「キ」と車掌車

SL D51698号、昭和15年製造。

車掌車 ヨ3500号。

マックレー車とロータリー車を後方から押す。


鉄道の専門家ではないので、解説も言葉少なで申し訳ないが、通の方には写真をご覧いただくだけで、言わんとするところはわかっていただけるだろう。

 

廃線と引退が続く北海道だが、鉄道が主役の時代の北海道はある意味で最もハイレベルな鉄道王国であった。厳しい自然環境が鉄道事業のアイデアと技術の発展を育んだ。その技術は、遠く大陸の満州鉄道、樺太の鉄道網を支え、多くの人々を助けたと言える。

いまだに道内に残る鉄道遺産は夫々が胸を張って誇るべきもの。

皆さんの記憶の中に今も輝く歴史はありませんか?

大きな声を出して、伝えて行こうではありませんか。